「あいびき」(トゥルゲーネフ)

現代で味わうべきは清新な自然描写

「あいびき」
 (トゥルゲーネフ/二葉亭四迷訳)青空文庫

秋のある日、
「自分」は白樺林の中で
うとうととし始める。
目が覚めると
近くに若い娘が座っていた。
彼女は「自分」の存在に
気付いていない。
そして誰かを待っている。
やがて、
茂みの方から男がやってくる…。

代表作「初恋」でも、
ショッキングなシチュエーションを
極めて美しく描き出した
トゥルゲーネフ。
この刺激的なタイトル
「あいびき」でも
エロティックな要素は
まったくありません。
それどころか、
この二葉亭四迷訳、
読むと情景がロシアっぽくなく、
慣れないと笑いすら込み上げてきます。

以下は
待っていた若い娘・アクーリナと
やってきた男・ヴィクトルの会話です。
ア「なにそれは?」
ヴ「眼鏡」
ア「それをかけるとどうかなるの?」
ヴ「よく見えるのよ」。
ア「チョイと拝見な」。
ヴ「こわしちゃいけんぜ」。
ア「だいじょうぶですよ、
  オヤ何にも見えないよ」
ヴ「そ、そんな……
  眼を細くしなくッちゃいかない、
  眼を、チョッ、まぬけめ、
  そッちの眼じゃない、
  こッちの眼だ」
ア「どうでも私たちの
  持つもんじゃないとみえる」

ロシアの初秋の森の中で
若い農夫の娘と
上品な生まれの
青年の会話なのですが、
私の頭の中では
明治の下町の路上で、
貧しい町人の娘と
気っ風のいい職人さんの
談笑が浮かんできていけません。

などと、明治の文豪の名訳文を、
揚げ足をとるように読み込んでは
失礼千万というものです。
明治の文章で訳すと
こうなってしまうのです。
むしろ、二葉亭四迷が
言文一致体で訳してくれたからこそ、
この作品が日本でも早くから
知られるようになったのです。

現代で味わうべきは、
そのところどころにちりばめられた
清新な自然描写にこそ
あるといえます。
「今朝から小雨が降りそそぎ、
 その晴れ間には
 おりおり生ま煖かな日かげも射して、
 まことに気まぐれな空ら合い。
 あわあわしい白ら雲が
 空ら一面に棚引くかと思うと、
 フトまたあちこち
 瞬く間雲切れがして、
 むりに押し分けたような雲間から
 澄みて怜悧し気に見える
 人の眼のごとくに
 朗かに晴れた蒼空がのぞかれた。」

国木田独歩らにも影響を与えた
冒頭の一文です。

現代の翻訳家が
この作品を訳すとどうなるか。
二葉亭四迷の
格調高い背景描写をそのままに、
若い二人の会話を
現代の感覚に合致するような
自然さで表すとすると、
そのハードルはかなり高いものと
ならざるを得ないでしょう。

(2018.10.3)

【青空文庫】
「あいびき」(トゥルゲーネフ/二葉亭四迷訳)

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