「ベージンの野」(トゥルゲーネフ)

物の怪と自然、そしてそこに住む人間

「ベージンの野」(トゥルゲーネフ/佐々木彰訳)
 (「百年文庫070 野」)ポプラ社

夏の夜の道に迷った「私」は、
ベージンの野と呼ばれる
草原へ出てしまう。
そこでは土地の子どもたち五人が
朝まで馬番をしていた。
「私」は彼らと
一晩を過ごすことになる。
やがて、焚き火を囲んで
子どもたちの四方山話が始まる…。

ただそれだけの筋書きです。
このあと何も起こりません。
「私」はただ子どもたちの話を
聞いているだけ。
その子どもたちの話こそ
読みどころなのです。

夜更かしを公認された子どもたちが
集まってする話といえば、
「怪談」に決まっています。
子どもたちの口からは
次から次へと妖怪の話が出て来ます。

まずは「家魔(ドモヴオイ)」。
透明な怪物で力持ち、
夜寝静まった後、家の中外で悪さをする。
続いて「水の精(ルサールカ)」。
村の大工が一人、呪いをかけられ、
そのためにいつも陰気な
顔をして歩いているのだという。
さらに「口をきく羊」。
夜の森で少年が
見つけた羊をなでたところ、
その羊が語りかけてきたというもの。
このあと、
「爺さんの幽霊」
「今年死ぬ人間のドッペルゲンガー」
「妖怪トリーシカ」「森の精」
「河童」と登場します。

作者・トゥルゲーネフは
子どもたちの口を借りて
多くのロシア妖怪を登場させましたが、
怪談百物語を展開しようと
しているのではありません。
そこに織り込まれているのは
祖国ロシアの美しい自然と
人々の生活風景なのです。
「ドモヴオイ」の話では
この地方の紙漉き場と
水車小屋の様子を紹介し、
「ルサールカ」では
熱心なキリスト教徒の話題に触れ、
「口をきく羊」では
狩猟や放牧の文化を伝えています。

物の怪と自然、
そしてそこに住む人間は
本来一体なのです。
自然の一部として物の怪が棲み、
人間が存在しているのです。
一晩続いた子どもたちの
無邪気な怪談話からは、
豊かな自然の中で生活していた頃の
人々の様子が
生き生きと伝わってきます。

同時に作者は、
この地に迷い込むまでの
「私」の目線でも、
美しい自然を描写しています。
「朝焼けも火事のように
 パッと燃え立たず、
 柔らかな紅を漲らせているだけ。
 太陽は細長い雲の下から
 いそいそと浮かびあがって、
 さややかに輝き、
 やがて薄紫色の
 靄の中に没してしまう。
 長く延びた雲の薄い上端が
 小蛇のように輝きはじめる。
 その輝きは鍛え上げた
 銀の輝きにも似ている」

冒頭からこのように続くのです。

ロシア社会が抱える問題点を
告発するような作品を書いた
トゥルゲーネフですが、
美しい自然描写も得意であり、
日本ではいち早く
二葉亭四迷によって翻訳・紹介され、
特に国木田独歩や田山花袋らの
自然主義に大きな影響を与えています。
ロシアの文豪の、
味わいのある短篇はいかがですか。

※本作品は、
 作品集「猟人日記」の中の一篇です。

(2018.10.3)

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