「花燭」(太宰治)

「秋風記」のKとは異なる太宰の理想とする女性像

「花燭」(太宰治)
(「新樹の言葉」)新潮文庫

何もせず、親からの仕送りで
生活している「男爵」は、その金で
貧しい仲間たちを家に招き、
酒食を供していた。
客の一人の機嫌をとるために、
勤め先の撮影所に出掛けた
「男爵」は、以前田舎の彼の家で
女中をしていたとみと出会う…。

昨日取り上げた「秋風記」と同じ
昭和14年発表の作品です。
「秋風記」は私小説風の作品であり、
「私」=太宰の目線で語られる
作品でした。
本作品の主人公・男爵にも
作者自身が
かなり色濃く投影されています。
そして太宰が自身である男爵を
終始客観的に見ているのが
本作品の特徴でしょう。

作品冒頭で、太宰は
男爵を道化のように紹介しています。
「かれは、なお、
 何かの「ため」を捨て切れなかった。
 私の身のうちに、まだ、
 どこか食えるところがあるならば、
 どうか勝手に食って下さい、
 と寝ころんでいる。」

作品終盤では、とみの弟に
「男爵」を痛烈に批判させています。
「自意識の過剰だの、ニヒルだのを
 高尚なことみたいに言っている人は、
 たしかに無智です。」

では、本作品は
太宰の自虐趣味の小説なのか?
そうではありません。

なんととみは男爵を
十年の間恋い焦がれていたのです。
冒頭に戻ると、
「私がこれから物語ろうと思う
 いきさつの男女も、
 このような微笑の初夜を得るように、
 私は衷心から祈っている」
と、
二人の結婚を示唆しています。

男爵は32、3歳、
とみは27、8歳、5つほど年下です。
そして自ら積極的に男爵に接近します。
怪訝そうな男爵に一方的に話しかけ、
再会の約束も取り付けます。
映画女優として
有名になるくらいですから、
容貌も魅力的であり、
明るく快活そうです。
これこそが太宰の理想とする
女性像なのかも知れません。

そのイメージは、
昨日の「秋風記」のKのそれとは
大きく異なることに気付きます。

自身を客観視し、
より理想の状況を考えたとき、
太宰は、とみのような、
明るく快活で人付き合いが上手く
器量も良い若い女性が
現れることを期待していた。
しかし、
現実的に周囲を見まわしたとき、
自らを慰めうるのは、Kのような、
自分とよく似た、
影を引きずって生きている女性、
しかも静かに死へと誘ってくれる
年上の女性と認識していた。
「秋風記」と本作品を読み比べると、
そんな想像が湧き起こります。

という深読みは別にしても、
本作品もまた
太宰にしては明るめの逸品です。
「秋風記」とともにお楽しみ下さい。

(2018.11.15)

【青空文庫】
「花燭」(太宰治)

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