「道草」(夏目漱石)②

「猫」が「陽」であれば本作品は明らかに「陰」

「道草」(夏目漱石)新潮文庫

前回、
「心が消化不良を起こしてしまった」と書き、
その原因の一つとして
「完結せず終わる筋書き」をあげました。
原因はもう一つあります。
登場人物がみな狡猾な人間として
描かれていることです。

健三につきまとう元養父であり
問題の人物・島田。
幼い健三を育てたのも、
いつか金になるのを当てにしてのこと。
再会後は何度となく金をせしめに来ます。

島田の先妻で健三の元養母・お常。
やはり後々の報酬を期待して
健三を育てている様子が
はっきりと表されています。

腹違いの姉・お夏。
健三から月々もらっている小遣いを、
増額するよう要求します。
常に「健三はいくらでも稼げるから」と
巧妙に持ち上げます。

お夏の夫・比田。
お夏が健三から小遣いを
もらっているのを承知で、
自分の稼ぎの殆どを自分一人で使う、
面の皮の厚い人物です。

主要人物を挙げてみましたが、
それ以外にも、
健三の妻・お住の父親も
金を借りに来ます。
健三の兄は怠け者。
健三の妻・お住はヒステリック。
すべての人物が
卑小な人間として描かれているのです。
でも最も卑屈な人間として
描出されているのが主人公・健三です。

学問を修めていることを鼻にかけ、
常に周囲の人間を見下しています。
世間と交わろうとせず、
適切な人間関係を築こうとせず、
常に孤立しています。
妻子にさえ心を開いていないのですから、
世の中で孤立していると
言っていいでしょう。

健三=漱石なのだそうです。
「彼岸過迄」「行人」「こころ」と、
自身の中の闇の部分を
それぞれの登場人物に反映させながら、
人間存在の根底に関わる問題に
迫った漱石です。
最後は自分自身を
そのまま表したいと思ったのでしょうか。

また、
本作品に描かれている
漱石の身のまわりについては、
「吾輩は猫である」と
ほぼ同時期なのだそうです。
「猫」が「陽」であれば
本作品は明らかに「陰」。
同じものの光と影を
描き分けたかのような両作品です。

その後に書かれた「明暗」が
未完であることを考えると、
本作品は完成された
最後の長編小説ということになります。
処女作「吾輩は猫である」と
最終作「道草」が、
作者自身の「明」と「暗」を描き分け、
作者の死を持って絶筆となった
作品のタイトルが「明暗」。
そこに運命のようなものを
感じて仕方ありません。
漱石没後100年が過ぎ、
いろいろなことを考えてしまいます。

(2019.1.11)

【青空文庫】
「道草」(夏目漱石)

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