「陳述」(佐藤春夫)

佐藤春夫、犯罪小説でも筆が冴え渡る

「陳述」(佐藤春夫)
(「夢を築く人々」)ちくま文庫

若い外科医・一ノ瀬は、
社交性に著しく欠けるため、
医局での権力を持つ
赤沢婦長から疎まれる。
そのため医局員から
さまざまな迫害を受ける。
ある日、緊急手術の
必要のある患者が運び込まれ、
一ノ瀬が担当することになるが…。

被告である一ノ瀬の
「陳述」の形式を取っているため、
彼が最後に何か事件を起こすことは
わかりきっていますので、
結論を紹介しても
差し支えないでしょう。
私も数行読み始めて
結末を予想できましたから。
そうです。
一ノ瀬はにっくき赤沢婦長を、
最後に刺してしまうのです。

すべてが不幸な出会いなのです。
一ノ瀬はすこぶる内向的な性格です。
人付き合いは大の苦手なのです。
そして医局という、
閉鎖的かつ
上下関係を重んじる縦割り社会が、
彼にとって
不運な巡り合わせとなっているのです。

だから徹底的に排除されるのです。
そこまで一ノ瀬が
追い詰められる描写の積み重ねは、
背筋が寒くなるくらいです。
医療ミスの責任をかぶせられる、
手術らしい手術を割り当ててもらえない、
ありもしない女性関係を言いふらされる、
同僚の小為替を盗んだ疑いをかけられる、
これでもかと一ノ瀬に対する
心理的いじめが続きます。

一読すると
「一ノ瀬の暗い性格が招いた悲劇」で
終わってしまいそうです。
しかし見落としてはならないのは、
彼は優秀で真面目、かつ
医者としての良心をしっかりと
持った人物であるということです。

担当した患者を診察し、
医局長が癌と診断した結果と
患部切除の治療方針に疑いを持つ。
医局長に進言しても聞き入れられない。
そこで医局外の医師に
検査結果を判断してもらう。
それによって、
患者は体の一部を切除しなくても済む
治療を受けることができたのです。

しかし、それすらも
医局の和を乱す不適切な行為として、
より一層立場を悪くしてしまいます。
たとえ正しい行いをする人物であっても
人付き合いが悪ければ
それが全く評価されない、
なんともやりきれない筋書きなのです。
その果てに、
追い詰められた一ノ瀬が
婦長にメスを突き立てたのが、
いかにも自然に感じられるくらいの
圧倒的な心理描写なのです。

純文学も書ける、
詩も書ける、
ファンタジー小説も書ける佐藤春夫、
犯罪サスペンス小説でも
筆が冴え渡っているのでした。

※本作品は漢字カタカナ表記であり、
 すこぶる読みにくいです。
 ところが岩波文庫の短編集では、
 ひらがなに開いてあります。
 残念ながら、どちらも絶版状態で、
 入手が困難です。

※参考までに、本書の収録作品。
 「西班牙犬の家」
 「指紋」
 「月かげ」
 「陳述」
 「「オカアサン」」
 「アダム・ルックスが遺書」
 「家常茶飯」
 「痛ましい発見」
 「時計のいたずら」
 「黄昏の殺人」
 「奇談」
 「化物屋敷」
 「山妖海異」
 「のんしゃらん記録」
 「小草の夢」
 「マンディ・バナス」
 「女人焚死」
 「或るフェミニストの話」
 「女誡扇綺譚」
 「美しい町」
 「探偵小説小論」
 「探偵小説と芸術味」

(2019.3.30)

engin akyurtによるPixabayからの画像

2件のコメント

  1. ラバン船長さん
    お久しぶりです^^
    佐藤春夫は多岐にわたって小説を書いているのですね
    やはり文庫で読んだわけですが、随分昔のことなので
    作品タイトルは忘れてしまっています
    あらすじを読んだかぎりでは遣り切れないストーリのようです
    職場ではこのようなことは結構あったと私も感じています
    職場のある上司にいじめられ殺意さへ感じたこともありましたからね
    どこでもあるような素材を読者に最後まで惹きつけさせる
    ような作品なのでしょうね…☆☆☆

    1. yahanさん、コメントありがとうございます。
      サスペンス感溢れる作品です
      カタカナ表記のバージョンと
      ひらがな表記のバージョンと
      2通りあります。
      読むと鬼気迫るものがある作品です。
      なぜ現代に残るものが少なかったのか、
      不思議でなりません。
      きっと器用貧乏だったのかもしれません。

      Yahoo!ブログも4月から
      「ナイス」すらできなくなりますが、
      これからもよろしくおつきあいください。

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