成長とは何かについて考えさせられる傑作短篇
「木精」(森鷗外)
(「森鷗外全集2」)ちくま文庫
山の谷間でいつも「ハルロオ」と
呼びかけるフランツの声に、
いつも木精(こだま)は
太い声で答えてくれる。
何年かして
再びその谷間に立ったフランツの
「ハルロオ」に、木精は答えない。
木精は死んだのだと思った
フランツの前に…。
フランツが目にしたのは、
岩場に戯れる7人の子どもたち。
子どもたちの呼びかけには
木精はしっかりと答えているのです。
本作品の読みどころは、
①かつて木精と
対話できていたフランツ、
②木精は死んだと
思い込んだフランツ、
③子どもの呼びかけには
答えていることを知ったフランツ、
それぞれの対比だと思うのです。
かつてのフランツの声①は
ボーイ・ソプラノ。
その高音にはバスの音域で
木精が返ってくるのです。
しかし、数年後の②③のフランツは
テナーになっているのです。
音が低くなった分、
木精が生じなかったのです。
これは声変わりを
示しているのですから
「肉体的な成長」といえます。
①と②の間には
次の一文が挿まれています。
「フランツは段々大きくなった。
そして父の手伝を
させられるようになった。
それで久しい間例の岩の前へ
来ずにいた。」
②のフランツは、
木精が無反応である理由を、
「木精が死んだから」と
外部に求めています。
自分の変化に気付いていないのです。
しかし、③のフランツは、
子どもたちの声に反応する
木精を目の当たりにし、
変化したのは自分の方であることに
気付くのです。
つまり、自己を見詰める眼を
持ったことになります。
これこそが「内面的な成長」なのです。
「死んだかと思ったのは、
間違であった。
木精は死なない。
しかしもう自分は呼ぶことは廃そう。
こん度呼んで見たら、
答えるかも知れないが、
もう廃そう。」
また、②のフランツは、
「急に何とも言えない程
心細く寂しくなった。
麻痺の感じである。
麻痺は一部分の死である。
死の息が始めて
フランツの項に触れたのである。」と、
漠然とした「死」の影を感じています。
それが③のフランツは
子どもたちの姿に「生」を感じています。
「どの子の顔にも喜びの色が輝いている。
その色は生の色である。」
無邪気な「生」に浸っていた
かつての自分と、
僅かでも「死」を感じることの
できるようになった自分との
差を実感しているのです。
以前取り上げた「青年」以上に、
成長とは何かについて
考えさせられる、
鷗外の傑作短篇です。
高校生にぜひ読んで欲しい一篇です。
※収録されている本書は
現在絶版中です。
全14巻からなる
ちくま文庫刊「森鷗外全集」も
流通しているのは
第1巻と第4巻のみです。
日本文学の重要な作品群が
次々と埋もれていく現状に
やりきれなさを感じています。
(2019.4.17)
【青空文庫】
「木精」(森鷗外)
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