「馬鹿一」(武者小路実篤)

誰にでもわかる言葉で真理を語る、武者小路実篤

「馬鹿一」(武者小路実篤)
(「百年文庫096 純」)ポプラ社

石や草ばかりを描く
画家の馬鹿一。
自己流で稚拙ではあるが、
どこまでも誠実な人柄が
滲み出ているため、
彼の描く絵は
心ある人の観る眼を引きつける。
彼は周囲の友人に
馬鹿にされようとも、
ひたすら信念に基づいて
描き続ける…。

武者小路実篤
愛読している割には、
一度もまだ取り上げていない
作家の一人です。なぜか。
武者小路実篤の本当の素晴らしさ、
文学的な奥深さ、
作品に込められているメッセージを、
自分はまだ十分に
読みこなしていないのではないかと
不安になることがあるからです。

武者小路の文章は
簡潔でわかりやすいのが特徴です。
書いてあることは
ストレートに伝わってきます。
筋書きもどちらかといえば
私小説同様に平易です。
でも、その深奥が見通せないのです。

鍾乳洞内の地底湖のような
限りなく澄んだ水底を見たとき、
浅そうに見えても
実は相当な深度があるのと同様、
武者小路文学は
一見簡単な文面とは裏腹に、
かなり深い文学世界が
広がっているのだと思うのです。

本作品も、
筋書きなどはないに等しいといえます。
純粋な馬鹿一を、友人たちが
からかいにやって来るのですが、
彼はそれを意に介さず、
すべてを肯定的に受け入れます。
ただその様子を描いただけなのです。
それもたった32ページの小編です。

しかし、その至るところに
ちりばめられた人生の真実の数々が、
読み手の胸に響いてくるのです。

何の変哲も無い
石や草を描いた画を見た友人の一人が
「こんなものばかりかいて
 よくあきないね」

といえば、馬鹿一は
「君はあきる程見たことがあるのか、
 見ない前にあきているのじゃないか。
 よく見たことがないから、
 同じに見えて其処に千変万化がある、
 面白さがわからないのだ」

と応えます。

ある人が現代の有名な
外国の作家の作品を読むことを薦めると
「僕はそんな人のものは
 読みたいとは思わないよ。
 人生に背を向けて、
 人生をいやに複雑なものと
 思っているものを読むと
 僕の頭は馬鹿になる。
 僕は矢張り
 真理は単純なものだと思っている」

と一蹴します。

おそらくこの作品自体が
武者小路の文学世界
そのものなのでしょう。
当たり前の中に面白さを見つけ、
単純な中に真理を見いだす境地が
すこぶる爽快です。

難しい理屈を
こねくり回す人間ではなく、
誰にでもわかる言葉で真理を語る。
武者小路の作品を読むたびに、
そんな人間でありたいという願いが
胸中にふつふつと湧き上がります。

(2019.6.3)

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