「砂男」(ホフマン)②

主人公・ナタナーエルの視点に立ったとき

「砂男」(ホフマン/大島かおり訳)
(「砂男/クレスペル顧問官」)
 光文社古典新訳文庫

大学生ナタナーエルは、
買い入れた望遠鏡で、向かいの
スパランツァーニ教授宅の窓に
見える令嬢・オリンピアを眺めた。
彼の目にはオリンピアは
魅力ある少女に映ったが、
周囲の友人たちは
「彼女には生きた光がない」と
口々に言う…。

本作品はそのホラー的筋書きを
考えたとき、
前半部と後半部の繋がりが
今ひとつのように
感じられてなりません。
しかし、主人公・ナタナーエルの
視点に立って読み進めたとき、
その関係が明らかになってきます。

前半部は「砂男」の幻影に
精神をむしばまれる
ナタナーエルの姿を追いながら、
その実、ナタナーエルの見た
クララについて述べられているのです。
彼は愛するクララに
自ら創作した詩を読んで聴かせます。
しかし精神を病んでいる彼の詩は
陰鬱で不快なものでした。
しかも彼は、「自分の詩に心うばわれて、
内なる焰に頬は赤く燃え、涙があふれ」、
つまり自己陶酔の世界に
陥っているのです。
それを諫める彼女に彼がかけた言葉は、
「きみはいのちのない自動人形だ」

一方、後半部は
ナタナーエルの目に映る
オリンピアが描かれています。
友人たちは彼女のことを
「蝋人形みたいな顔の木偶のぼう」と
酷評するのですが、
彼だけは彼女の「この世ならぬ魅力」の
虜となってしまうのです。
彼女が自動人形であることも知らずに。
「きみだけだ、ぼくを完全に
 理解してくれるのは、きみだけだ」

自分に対して無限の愛を注いでくれる
クララを「自動人形」と呼び、
「ああ、ああ」としか
語ることのできない
オリンピアに対して
「真の理解者」と感じる。
このナタナーエルの異常な感覚は
どこから来ているのか?
この問いを解く鍵は
彼が友人ジークムントに語る一言に
現れています。
「オリンピアの愛のなかにだけ、
 ぼくは自分自身を見いだせる」

彼は自分を否定するものを
認めることができないのです。
自分をすべて受け入れてくれる
存在のみを求めていたのだと
考えられます。
その思いの行き着く先は
生身の人間ではなく、
受け答えできない
自動人形だけだったのでしょう。

だからといって彼は
生命の宿らない存在を
求めていたわけではありません。
だからこそオリンピアが
自動人形である事実と遭遇したとき、
彼の精神は崩壊したのです。

本作品はもしかしたら
ホラー小説として読むべきではなく、
ナタナーエルの救われない魂を
読み解く純文学と
捉えるべきなのかも知れません。

※それにしても人形に恋するという
 モチーフは日本でも
 乱歩の「人でなしの恋」
 横溝正史の「蠟人」など
 いくつか見られます。
 やはり不健康です。

(2019.7.1)

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

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