「神父セルギイ」(トルストイ)

青年カサートスキイの魂の変遷

「神父セルギイ」
(トルストイ/工藤精一郎訳)
(「百年文庫008 罪」)ポプラ社

将来を嘱望された
青年カサートスキイ公爵は、
婚約者の過去を知り絶望、
俗世を捨てて修道院に入る。
やがて彼は司祭となり、
セルギイの名を与えられる。
神父として名声を得るものの、
彼は自分の中に
神がいないことを悟り…。

トルストイの作品は
「アンナ・カレーニナ」が
手元にあるのですが、
重厚長大ゆえ、
まだ読んでいません(いつになるやら)。
本作品もまた、
百年文庫収録作品中、
おそらくは最長のものでしょう。
なにせ人の一生を
描いているのですから。
それにしてもカサートスキイ青年、
いやセルギイ神父の一生は重すぎます。

完全無欠な修道僧になるべく、
彼は「常に労をいとわず、
自己を抑制し、
温和なやさしい態度を持し、
行為ばかりでなく、
考えにおいても清らかさを保ち、
ひたすら従順たらんと勤めた」。
これが最初の数年間の修道院生活です。

それだけで済まず、
彼は山の洞窟の中で隠者として
さらに数年生活します。
ある日、
美女マコーフキナが
道に迷ったふりをして庵を訪れ、
強引に彼を誘惑しますが、
彼は自分の指を斧でたたき切り、
痛みをもって欲情を退けます。

名声は高まる一方の
神父セルギイでしたが、
知能が低く肉欲だけが発達した娘の
無邪気な誘惑には
抗うことができませんでした。
自分の中には
神は宿っていないと絶望した彼は、
自殺すら考えます。

幼馴染みのパーシェンカに会えという
夢のお告げを受け、
遠く離れた彼女の家を目指し、
彼は歩き続けます。
彼女は不運が重なり
零落した生活を送っていたのです。
彼は彼女の中に、
真に神のために生きる姿を見つけます。
物乞いをしながら巡礼を続ける彼は、
ようやく自分の中に
神を感じることが
できるようになったのです。

最後は流刑地シベリアで
富豪の小屋に住まわせてもらいます。
その姿は家出をして放浪した後、
旅先の駅長官舎で生涯を閉じた
トルストイの晩年と
重なるものがあります。
いや、名声が高まるにつれて、
自身を内省的に深く見つめる
セルギイの生き方そのものに、
作者自身が
投影されていると考えられます。

はじめは虚栄心や
出世欲というものの影に隠れて
小さな萌芽でしかなかった
カサートスキイの信仰心。
それが自らの在り方を
突き詰めて考える中で、
次第に大輪の花を
咲かせていったのでしょう。
彼の魂の変遷を描いた
トルストイの傑作。
「戦争と平和」や
「アンナ・カレーニナ」を読む前に、
まずはこちらからいかがでしょうか。

(2019.7.7)

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