「鷲の巣」(ビョルンソン)

なぜ「善いこと」なのか?何が「善いこと」なのか?

「鷲の巣」
(ビョルンソン/宮原晃一郎訳)
 青空文庫

村の懸崖の岩角にある鷲の巣。
鷲は子羊や子山羊を襲い、
厄災をもたらしていた。
村にはかつて勇敢な兄弟が
岩肌をよじ登って
鷲の巣を叩き落としたという
言い伝えがあった。
ある日ライフという青年が
それを試みようとする…。

前回取り上げた
ビョルンソンの短篇作品です。
こちらも文庫本に直すとおそらくは
数ページにしかならないでしょう。

断崖絶壁によじ登り、
鷲の巣を叩き落とすことに挑戦した
青年・ライフはどうなったか?
「砂、石、砂利などがざらざらと、
 彼と一緒に崩れ落ちた。
 彼は滑った、滑った、
 だんだん速さをまして―。
 間もなく何か重たい、
 塊のようなものが、
 湿った土に
 どしりと落ちたようであった。
 ライフはめちゃめちゃに、
 見分けもつかぬようになって、
 そこにころがっていた。」

問題はそれに際しての長老の言葉です。
「これは馬鹿げたことだった。
 けれども…。それも善いことだ、
 誰にもとどかれない、
 あんな高い所に、
 何かが懸かっているということは。」

村一番の有望な青年の事故死に対して、
村で最も長く生きた人間の
言う言葉としては
あまりにも冷たすぎるのではという
疑問が浮かびます。
そしてなぜ「善いこと」なのか?
何が「善いこと」なのか?

ここで作者・ビョルンソンの
人となりを見てみます。
本書の巻末の作者紹介では、
「政治、社会、宗教、教育など
 あらゆる分野に改革の狼煙を上げ、
 国民を鼓舞した」

ブリタニカ国際大百科事典の解説では、
「新聞発行や政治運動にも進出、
 隠然たる国民の指導者として、
 ノルウェーの『無冠の帝王』と
 呼ばれた」

もしかしたらビョルンソンは、
国の改革をライフの挑戦に
なぞらえたのかも知れません。
たとえそれが失敗し、
無謀な試みに終わろうとも、
それは意味のないことではなく、
それに続く者の先駆けとなって
人びとに勇気と希望を与える。
そう読み取れなくもありません。

昨日の「父親」も、
一人息子の死を乗り越え、
その悲しい出来事に意味を見いだした
人間の姿を描いていました。
「すべての物事には意味がある」と
よく言われますが、
「意味を見いだす」ための
不断の努力こそが大切なのでしょう。

「父親」同様、読み手の経験が
映し出されるような作品です。
短い作品ですので、
青空文庫でぜひご一読を。

(2019.9.28)

【青空文庫】
「鷲の巣」(ビョルンソン/宮原晃一郎訳)

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