「文鳥」(夏目漱石)②

云うに云えない思いを暗号のように作品に託した漱石

「文鳥」(夏目漱石)
(「文鳥・夢十夜」)新潮文庫

漱石の「文鳥」。
ネット等で本作品を検索してみると、
「自ら世話をせず
小鳥を死なせた漱石は酷い」
「自分で死なせておいて
家族を非難するとは自分勝手」
というような感想が散見されます。
実は私も若い頃読んだときには
同様な気持を抱きました。
これは偏屈者の心理を描いた
作品なのだろうかと。

前回書いたように漱石は本作品を、
かつて恋心を抱いていた
日根野れんという女性に手向けた
追悼作品として著した形跡があります。
そして自分ではなく
他家へ嫁がざるを得なかった
日根野れんに
相当な同情を寄せています。
昨日も引用しましたが、
「いくら当人が承知だって、
 そんな所へ嫁にやるのは
 行末よくあるまい。
 世の中には満足しながら
 不幸に陥って行く者が
 たくさんある。」

という一節にそれがうかがえます。

だとすれば「自分」が三重吉
(文鳥飼育を薦めてくれた友人)に
宛てた手紙の文面は、
家人への自分勝手な
八つ当たりに見せかけた
「別のもの」である可能性が
考えられます。
「家人が餌をやらないものだから、
 文鳥はとうとう死んでしまった。
 たのみもせぬものを籠へ入れて、
 しかも餌をやる義務さえ
 尽くさないのは残酷の至りだ」

文鳥=日根野れんだとすると、
家人はれんの嫁ぎ先、
「たのみもせぬものを
籠に入れて」は
れん本人の望まぬ結婚、
「餌をやる義務さえ尽くさない」は
嫁を人間として家族として
正当に扱わなかったことを
意味しているのではないでしょうか。

「午後三重吉から返事が来た。
 文鳥は可愛想な事を致しましたと
 あるばかりで
 家人が悪いとも残酷だとも
 いっこう書いてなかった。」

作品は閉じられます。
れんの死も「病気で亡くなり
気の毒」という言葉ばかりが並び、
彼女の辛い境遇に
思いを馳せる人がいなかった様子を
うかがい知ることができます。

文献等をもとにした
推測ではありません。
どこまでが事実なのか
私には調べる術はありません。
いずれにしても本作品は随筆ではなく、
私小説です。
私小説は事実をもとにした「創作」です。
このような八つ当たりの手紙を、
漱石が本当に三重吉に
出した事実は存在せず、
云うに云えない思いを
暗号のように作品に託したと
考えたほうが
自然ではないかと思うのです。

文庫本にして
わずか20ページの小品ですが、
考えるべき要素の多い、
奥深さを有した漱石の傑作短篇です。
秋の夜長にご賞味あれ。

【青空文庫】
「文鳥」(夏目漱石)

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