「仙酔島」(島村利正)

淡々と歳月を積み重ねてきたウメの生き方

「仙酔島」(島村利正)
(「百年文庫010 季」)ポプラ社

信州の城下町に
生涯を閉じようとしていたウメ。
彼女は盆の墓掃除の折、
代々の祖先の墓所とは
違う場所にある、
小さな墓に必ず参っていた。
その墓はかつて
ウメの店に出入りし、
旅の途中で亡くなった
商人・信吉のものであった…。

美しい日本語で綴られた作品に
出会うことができました。
日本文学の森は
まだまだ奥深いのだと改めて感じます。
本作品の冒頭です。
「山の峯々や渓間から、
 そのふかい濃緑を乳色に溶いて、
 しとしとと朝霧を流してくる風は
 肌にひいやりとした。」

作品全体に、鮮烈な色彩は、ありません。
淡い色調の絵の具で
丹念に仕上げた水彩画のような
奥ゆかしい文章です。それは
主人公・ウメの生き方と似ています。

七十路を超えたウメが
大阪旅行を決心したのは、
孫に誘われたこと以上に、
四十年も前に亡くなった信吉の
実家・福山に
足を伸ばせるからなのでした。
信吉は四国土佐の鰹節を商いに、
年に一度だけ
ウメの店に姿を見せる商人でした。
しかし彼は旅の途中に脳溢血で倒れ、
それを弔ったのがウメだったのです。

夫が粗暴だったウメは、
凜々しい旅人であった信吉に
好意を寄せていたのでしょう。
作品にはまったく書かれていませんが、
それを仄めかす記述が散見されます。
信吉の墓に参ったときには
「孫達はふと、そんなウメの顔に
 思いがけない艶やかな色を
 発見」
します。
「その頃ウメが三十前であったから、
 岡野信吉は
 三十二、三であったろうか」
と、
二人の年齢が近いものであることも
さりげなく記されています。
春という季節を
「もうあの人が若葉の匂いと一緒に、
 ごめん下さいと
 現れてきそうなもの」

ウメは感じています。

さて、無事福山で
信吉の息子・朔一と対面したウメは、
朔一の案内で
観光名所である仙酔島を訪れます。
島への渡り船の中で、
老船頭が老妻に対して
口汚く罵る場面に出くわします。
老夫への不快感が募るのですが、
「ウメの眼が怖ず怖ずと、
 老妻の、清潔に洗われ、
 丹念に木綿糸で刺してある
 白足袋にとりつくと、
 その眼は思わず、
 船頭の色褪せた紺足袋に流れ、
 同じような
 丹念な刺し方を見てとると、
 ウメの胸は急に切って落され、
 熱くなった。」

性悪な夫に対して
誠実につくしている老妻の姿を、
自分と重ね合わせたのでしょう。
酒に溺れた夫に不満を漏らさず、
好青年信吉のへの思いは
一片たりとも言葉に表さず、
淡々と歳月を積み重ねてきた
ウメの生き方が、
奥ゆかしい限りです。

(2019.10.20)

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