滲み出る父親への愛惜と贖罪の感情
「妙高の秋」(島村利正)
(「妙高の秋」)中公文庫
信州の郷里で講演会を行う「私」は、
その足で姉弟の会する
家族旅行へと出かけることになる。
わがままを言って「私」は
その地を妙高山の
麓の宿にしてもらう。
そこはかつて父と旅した
数少ない場所だった。
「私」は昔を回想する…。
前回「仙酔島」で取り上げた
流麗な日本語の作家・島村利正の編んだ
私小説です。
私小説ですからそれなりの創作部分を
含むのでしょうが、
島村の自伝ともいえる内容です。
読み応えがありました。
明確な筋書きが
あるわけではありません。
描かれているのは
「私」が出掛けた二つの旅行
(一つは講演のための帰省、
もう一つはその翌日からの家族旅行)と、
それに関わっての過去の回想です。
それらが並行して描かれています。
書かれたのは昭和53年、
島村66歳のときであり、
亡くなる3年前でした。
島村は純粋な作家とばかり
思っていましたが、
戦中から撚糸業に従事していて、
1955年には日本撚糸株式会社を設立し、
その経営者となっていたのです。
経営と文学の
二足草鞋を履いていたのでした。
しかも家業はそれとは別に
海産物商を営んでいて、
長男である島村は本来それを継ぐべき
存在であったにもかかわらず、
文学と美術に目覚め、
奈良の飛鳥園(古美術写真や美術雑誌の
出版社)へ勤めることを志すのです。
父の同意を得られそうになかった島村は
家出をする計画まで練るのですが、
それを知った父親に
渋々認めてもらうのです。
その代わり父親とは
次第に疎遠になっていく様子が、
「私」の回想として描かれています。
やはり戦争が状況を変えていきます。
「私」に変わって家を継いだ
次男・正三が召集され、
次いで三男・平八郎にも
令状が届きます。
「私」と父親は、
平八郎を見送るため金沢まで
足を運んだその途中で
妙高へ立ち寄るのです。
「こんな時勢でも、
まだ小説を書いているかい」
「うん、書いてます。
こんど出る新潮に、
仙酔島というのが載りますよ」
二人のさりげない会話に、
不器用な父子の
和解の姿が見て取れます。
師である志賀直哉の
「和解」にも似ていますが、
それよりも感情を抑えに抑え、
きわめて滋味深い作品に
仕上がっています。
表面には決して現れていないものの、
父親への愛惜と贖罪の感情が、
行間から痛いほどに伝わってきます。
深まる秋に思いを馳せるべき一冊として
大人のあなたにお薦めします。
※残念ながら
島村利正の作品の多くが、
現在は忘れられかけています。
本書も古書としてしか
入手できません。
(2019.10.20)