「燈籠」(太宰治)①

告白によってさき子が達した境地

「燈籠」(太宰治)
(「きりぎりす」)新潮文庫

貧しい家の娘さき子は、
病院で出会った水野と知り合い、
心惹かれる。
水野が友達と
海へ行く話をしたとき、
楽しそうな様子が
見えなかったことから、
さき子は彼の窮状を想像する。
その日、さき子は
男物の海水着を万引きする…。

かつて男が女になりきるのは、
歌舞伎以外は気色の悪いものでした。
最近はそうではありません。
TVの向こうでは、KABAちゃん、
IKKO、はるな愛、
マツコ・デラックスなどなど、
オカマだけでなく、おネエ、
バイセクシュアル、女装家、…、
百花繚乱の感があります。
こうした方々が活躍されることにより
LGBTにも理解が広がっていくでしょう。
でも、文学界ならこの人、太宰治です。

もちろん、太宰は
オカマでもおネエでも
女装家でもありません。
本作品のような、
女性の一人称告白体小説を
得意としている点についてです。

さて、告白体の本作品、
誰に向かって何を告白しているのか。
告白の対象は神となっています。
「はじめから申し上げます。
 私は、神様に向かって
 申し上げるのだ、
 私は人を頼らない、
 私の話を信じられる人は、
 信じるがいい。」

告白の内容は懺悔ではありません。
自分の盗みを
罪とは感じていないのです。
さき子が告白しているのは、
一度外の世界へと
向き始めた自分の心が、
再び内側へと閉じてしまった
その顛末なのです。
二十数年間、さき子の気持ちは
外の世界へは向いていませんでした。
しかし水野と出会い、
さき子の視線は初めて世間へと
開きはじめたのです。

水野のために盗みを犯した、
そのことをさき子は
当然ととらえていますが、
周囲からは犯罪として批難されます。
そして水野から届いた手紙。
これは別れの手紙なのです。
「僕たちは、
 いまに偉くなるだろう。
 さき子さんも、
 以後は行いをつつしみ、
 犯した罪の万分の一にても償い、
 深く社会に陳謝するよう…」

自分とさき子の身分の違いが
匂わせてあります。
「読後かならず焼却のこと。
 封筒もともに焼却して下さい。
 必ず。」

これは一切の関係を
断つことの知らせです。
水野との関係は、
さき子の片思いだったのでしょうが、
これは厳しい結末です。

外の世界へ出てみたら、
そこは生きにくいものだった。
再び視線を家の中へ戻したら、
家族はとても美しいものだった。
それが告白によって
さき子が達した境地なのです。
「針の筵の一日一日がすぎ」た後の
最後の一文です。
「ああ、覗くなら覗け、
 私たち親子は、美しいのだ、
 と庭に鳴く虫にまでも
 知らせてあげたい
 静かなよろこびが、
 胸にこみあげて来たので
 ございます。」

(2019.10.27)

Free-PhotosによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「燈籠」(太宰治)

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