「燈籠」(太宰治)②

告白によって太宰が達した境地

「燈籠」(太宰治)
(「きりぎりす」)新潮文庫

前回取り上げた太宰の「燈籠」
誰に向かって何を告白しているのか、
考察してみました。
告白の対象は神、告白の内容は、
一度外の世界へと向き始めた自分の心が
再び内側へと閉じてしまったその顛末、
と考えます。

しかしさらに考えると、
「さき子」は「女になりきった太宰」
その人なのです。
では、「女になりきった太宰」は、
誰に向かって
何を告白しているのでしょう。

告白の対象は当然読者。
「はじめから申し上げます。
 私は、神様に向かって
 申し上げるのだ、
 私は人を頼らない、
 私の話を信じられる人は、
 信じるがいい。」

自分の話を信じてくれる、
一握りの人間を対象としているのです。

告白の内容が問題です。
さき子が告白によって達した境地は、
「外の世界へ出てみたら、
 外の世界は生きにくいものだった。
 再び視線を家の中へ戻したら、
 家族はとても美しいものだった」

ということだと考えます。
「ああ、覗くなら覗け、
 私たち親子は、美しいのだ、と
 庭に鳴く虫にまでも
 知らせてあげたい
 静かなよろこびが、
 胸にこみあげて来たので
 ございます。」

でも、太宰はこの心境に
達していない、いや、
達することが
できなかったはずです。

本作品の発表は昭和12年。
前作「HUMAN LOST」と半年、
次作「満願」まで約1年、
前後と隔たりがあるのです。
この1年半の間、
太宰は本作しか発表していません。
太宰の空白期の作品なのです。
この間、芥川賞落選、
麻薬中毒とそれによる精神錯乱、
そして精神病院への収容など、
太宰は「外の世界での挫折」を
繰り返していました。
退院し、家の中へ目を向けると、
妻初代は浮気している。
「覗くなら覗け」と
胸を張れるような美しい家族は、
そこにはなかったのです。

察するに、外の世界で傷ついた自分を、
優しくいたわってくれる温かい家庭を、
太宰は渇望していたのではないかと
思うのです。
初代と自殺未遂ののち離婚した太宰は、
本作執筆の翌年、石原美知子と結婚、
精神的にも安定し、
「女生徒」「富岳百景」などの名作を
書き上げます。

精神病院強制収容でさえも
「HUMAN LOST」「人間失格」
小説のネタにし、プライベートを
切り売りしてきた感のある太宰。
私生活の恥部はさらけ出せても、
自身のささやかな願いは
女になりきることでしか
打ち明けることが
できなかったのでしょうか。
何とも痛ましい感情が見え隠れします。

中期傑作群へとつながる
美しい作品です。
深まる読書の秋にいかがですか。

(2019.10.27)

Sasin TipchaiによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「燈籠」(太宰治)

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