「判決」(カフカ)①

カフカの文学的迷宮

「判決」(カフカ/柏原兵三訳)
(「集英社ギャラリー世界の文学12」)
 集英社

若い商人・ゲオルグは、
ロシアに住む友人に、
自分の婚約を
知らせるかどうか迷った末、
それを手紙に
したためることにした。
彼はその手紙を持って、
父親にその事を報告する。
しかし父親は
その友人のことなど
知らないという…。

やはりカフカです。
何が何だかわかりません。
前半は特に違和感を
感じるところなく進みます。
この小説はゲオルグと友人との確執、
またはそれに彼の婚約者が
何らかの形で関わってくるのだろうと
予想していました。
ところが後半に入ると
想定外の展開です。
父親の言動が意味不明であり、
作者・カフカが何を言いたいのか
さっぱりわからないのです。

はじめは
「商売でもいろいろなことが
 わしの耳に入っていない」

店で一緒に働いているのですが。
次に
「おまえにはペテルブルグには
 友人なんかいないんだ」

まるで耄碌したかのようです。
続いて
「おまえの友だちのことは
 よく知っておる」

さっき言ったことは何だったの?
「もう何年もまえから、
 おまえがこの疑問を
 もってやってくることを、
 わしは待ちかまえていたのだ!」

いったい何のこと?
読み手の困惑などお構いなしに
とどめの一撃、
「わしはいまおまえに
 溺死せよと宣告する!」

手紙を出すか出さないかの相談から、
あっという間に
死刑宣告の下った裁判に
早変わりしているのです。

その間にゲオルグの立場も
著しく変化していることに
気づかされます。
彼は父親の商売を引き継ぎ、
経営者として店の規模を2倍、
利益を5倍にまで成長させた若社長です。
しかも「裕福な娘」と婚約し、
順風満帆、
飛ぶ鳥を落とす勢いなのです。
ロシアの友人に対しても、
「きみは老いたる子供なのだ」と、
憐れみながらも蔑むような
表現をしているくらいです。それが
父親とのやり取りの進行とともに、
読み手にとっては彼の存在が少しずつ
小さくなっていくように感じられ、
それと反比例するかのように
父親の姿が大きく見えるように
描かれているのです。
ゲオルグはしまいには父親から
「おまえは本当は無邪気な
子供だったよ」と罵られるのです。

父親の「判決」に従って、
彼は橋の欄干から身を投げます。
読み終えても、
ではこの寓話が何を暗示しているのか、
皆目見当がつきませんでした。

わからなくてもいいのかも知れません。
カフカの文学的迷宮に入りこみ、
そこで迷うことこそが、
現代の私たちの
カフカの味わい方なのかも知れません。

柏原兵三作の「幼年時代」
 柏原兵三訳のカフカ「判決」を
 今日は並べてみました。

(2019.11.9)

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