「落ちてゆく世界」(久坂葉子)

繋がりの希薄な家族の姿

「落ちてゆく世界」(久坂葉子)
(「幾度目かの最期」)講談社文芸文庫

廃人同様の父、
何でも神頼みの母、
肺結核を患う兄、
成長の中で徐々に
その変化を見せる弟。
そして雪子。
それぞれが独立した世界観で
生きていた家族。
父の自殺により、雪子は
再び自身と家族との
繋がりについて考えはじめる…。

何度か取り上げた久坂葉子
わずかに残された作品の一つです。
ここには繋がりの希薄な家族の姿が
淡々と描かれています。

喘息持ちで病床に伏し、
財産を切り崩して食いつないでいる
元華族の父、
父よりも神道を崇拝し、
すべてを神に委ねようとする母、
肺結核を患い、世間とは隔絶した中で
生きることを余儀なくされている兄、
思春期の中で、大人に成長しようと
あえいでいる弟。
そして、目的も見いだせずに、
ただ流れるように生きている雪子。
どこにも明るい希望のない、まさに
「落ちてゆく」だけの家族なのです。

戦前までは家父長制の下に、
私たちの国の家族は
安定していたのでしょう。
敗戦後、家父長制が崩壊し、
それと同時に旧い価値観も瓦解し、
家族の在り方も大きく変わりました。
ここに描かれているのは、
混乱と倦怠に覆われた時代に、
旧いものにしがみつくことでしか
生きていくことのできない
家族の姿なのです。

この家族が久坂の家族であり、
雪子は久坂自身なのだと思われます。
だとすると本作品には、
久坂の人となりを知る手がかりが
いくつか見いだせるはずです。

「私は賭事、勝負事は
 三度の御飯より好きなのです。」

ギャンブルといっても、家族を相手の
賽子振りくらいなのですが、
そこに刹那的な生き方しかできなかった
久坂の感性が
表れているような気がします。

「私は姉が弟に対する
 世間一般の気持以上のものを
 いつからか持っておりました。」

繋がりの希薄な家族の中で、
自ら積極的に繋がりを求める相手は、
父ではなく、
さりとて母でもなかったのでしょう。
家族の中で孤独を
深めていったようすがうかがえます。

最期に描かれている父の死の場面。
父の死は服毒自殺でした。
その死の動機は、
「病苦からか、
 神経衰弱がこうじたからか、
 或いは虚無か、
 貴族の誇のためなのか」

雪子は考えてみるものの、
「どうでもいいじゃないか、
 という気持ち」
になります。
ここにすでに死の予感が漂っています。

作品中の雪子は25歳。
久坂はその年齢に達する4年も前に
自ら命を絶ちました。
早世した天才女性作家の、
魂の翳りが見え隠れする本作品。
胸が締め付けられるような思いしか
残らないのですが、
それもまた文学作品を味わう
一つの醍醐味だと思います。

(2019.11.14)

ahmadreza heidaripoorによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「落ちてゆく世界」(久坂葉子)

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