「アヤメ」(ヘッセ)

人間は三つに分けられるのかも知れません

「アヤメ」(ヘッセ/高橋健二訳)
(「百年文庫075 鏡」)ポプラ社

有名な学者となった
アンゼルムは、
突然空しさを感じるようになる。
そして
友人の妹・イリスに恋をする。
彼が求婚したとき、
彼女は「私の名まえを聞いて
思い出させられるものを、
記憶の中に見いだして」という
課題を突きつける…。

人生において「成功」した。
けれども自分の心が空しさを感じる。
今の生活は自分の求めていたものでは
ないのではないか?
アンゼルムの感じた迷いは
そのようなものだったのでしょう。

本作品は、
彼が豊かな自然の中で生活し、
その繊細な構造を、
その生命の躍動を、
その神秘な世界を、
肌で十二分に感じていた
描写から始まります。
特に野に咲くアヤメに魅せられている
描写は秀逸です。
「薄く青みがかった花托から、
 黄いろい指が長い列をなして
 伸びており、その間を
 ひと筋の明るい道が走って、
 萼の中へ、花のはるかな
 ひょうびょうとした秘密の中へと
 下っていた。
 黄いろい細い指が、
 ある時は、王さまの庭園の
 黄金の垣根のように、
 ある時は、風にそよとも動かぬ
 美しい夢の木の
 二列の並木のように見えた。」

以下、幻想的な描写が続きます。

彼は大人になるにつれて、
その感覚を忘れていったのです。
大学の教授となり、
人生においての成功者となることと
引き替えに、
その感覚を記憶の奥底に仕舞い込み、
仕舞ったことさえ忘れていたのです。

おそらく人間は
三つに分けられるのかも知れません。
一つはその感覚を大人になってからも
持ち続ける人間。
一つはその感覚を大人になるにつれて
忘れてしまう、でも心のどこかに
仕舞い込んでいる人間。
一つは大人になるにつれて
その感覚を完全に捨て去った人間。

アンゼルムがその二番目に該当し、
イリスは一番目に
あてはまるのでしょう。
だからこそ、イリスは
自分に求婚したアンゼルムに対して、
自分と同じものを求めたのです。

地位や名誉や財産などを求めず、
自然の中で自然の一部として生きる。
それはとても難しいことです。
そしてそれは必ずしも
幸せなことであるかどうかは
分かりません。
イリスの生涯は短いものにしか
なりませんでした。

悲しいことに、年を取るとともに、
私はヘッセの作品を
理解できなくなりつつあります。
「少年の日の思い出」「車輪の下で」も、
かつては愛読していたのですが、
再読しても没入できません。
人生に挫折したヘッセの
僻みのようなものを、
作品のどこかに
どうしても感じてしまうのです。
それは私が三番目の人間に
なってしまったからでしょうか。

(2019.11.21)

anncaによるPixabayからの画像

2件のコメント

  1. ヘッセの『アヤメ』が好きで、検索でまいりました。すばらしい解説をありがとうございます。わたしも3番目?1番目の心を忘れないでいたいです。

    1. コメントありがとうございます。「車輪の下で」や「デミアン」などの長編作品よりも、この短編の方が、ヘッセの作品の中では輝きを湛えているように思えます。お互いにこれからも良い作品との出会いを果たしていきましょう。

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