「細雪」(谷崎潤一郎)③

谷崎と松子が守ろうとしたもの

「細雪」(谷崎潤一郎)中公文庫

※本記事は2015年1月17日付けで
 Yahoo!ブログに投稿した記事を
 加筆修正したものです。

先日のNHKクローズアップ現代で、
谷崎潤一郎と妻松子との間に
交わされた書簡200通あまりが
発見されたことを取り上げていました。
そのこと自体は昨年末のニュースで
知っていたのですが、
注目すべきは、谷崎夫妻が戦時中、
執筆中止を余儀なくされた
「細雪」の原稿を、戦後までしっかり
守り通していたということです。

昭和18年、
中央公論に連載中だった「細雪」は、
軍部の弾圧で
執筆中止に追い込まれます。
時局にあわないという理由でした。
「パーマネントはやめよう」などと
呼びかけられている時代に、
名家のお嬢様の
贅沢な暮らしぶりを描いた小説が、
当局からにらまれるのは
当然のことだったのでしょう。

もちろん谷崎は
密かに執筆を継続します。
そして熱海に疎開、空襲のたびに
原稿を抱えて逃げたそうです。

松子夫人もけなげです。
「この上は私の手にて
出来る限り写したく、
一二年全力を
注いでみようと存じます」。
松子夫人の支えがなければ
「細雪」は誕生しなかった
可能性があったのです。

番組からは、
谷崎夫妻が懸命に細雪の創作を
守ろうとしていた様子が
うかがえました。
「細雪」はまさに、
戦争と平和の間に生まれた
日本文学の傑作といえるでしょう。

さて、
文壇では大家も沈黙していた時代に、
連載再開の見込みもない中、
谷崎がひたすら細雪を完成させようと
していた事実に驚きます。
出版される当てもないのに
900頁もの大作を書き上げたのですから。
番組でも、
「谷崎の中に強いモチベーション、
もしくは怒りがあったのでは」と
推察していました。

細雪の舞台となった上方は
日本文化の源流ともいえる土地柄です。
谷崎が生涯その翻訳に
情熱を傾けた源氏物語も
京の都が舞台です。
谷崎は、戦時下に消えゆかんとしていた
日本の美しさを、
細雪という作品の中に
永遠に残そうとしたのかもしれません。

失われゆく日本の面影が
美しい幻のように
浮かび上がってくる小説「細雪」。
谷崎と松子が守ろうとしたものが、
そこにあります。

(2019.12.2)

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