「幾度目かの最期(作品集)」(久坂葉子)

あまりにも短く疾走した久坂葉子の文学世界

「幾度目かの最期(作品集)」
(久坂葉子)講談社文芸文庫

スイートピーの花束を持って、
何かに惹かれるように
A駅に降り立った「私」。
五分ほど歩いた先にある
一軒の家の前で、
「私」は立ち止まる。
不意に見えた人影に、
「私」は慌てて
駆けだしてしまう。
「私」は人影の主に
恋をしていた…。
「四年のあいだのこと」

数年前に出会った久坂葉子の作品集。
何度読み返したでしょうか。
読むたびに、その痛々しさに
胸が締め付けられるような思いを
繰り返しています。

廃人同様の父、
何でも神頼みの母、
肺結核を患う兄、
成長の中で徐々に
その変化を見せる弟。
そして雪子。
それぞれが独立した
世界観で生きていた家族。
父の自殺により、
雪子は再び自身と家族との
繋がりについて考えはじめる…。
「落ちてゆく世界」

こんなにも鮮烈で、
こんなにも先鋭で、
こんなにも瑞々しく、
こんなにも痛々しげな作品を、
21歳までの間に
書き上げていたのです。
恐ろしいほどの才能の奔流です。

一人の娘っ子が、灰色の中に、
ぽっこり浮かんだ。
それは私なのである。
私のバックは灰色なのだ。
バラ色の人生をゆめみながら、
そうしても
灰色にしかならないで、
二十歳まで来てしまった。
もうすでに幕はあがっている。…。
「灰色の記憶」

熊野の小母さんへ。
あなたにたよりしている気持ちで、
私は、おそらく今度こそ
本当の最後の仕事を、
真剣になって
綴ろうというのです。
私はこれを発表するべくして、
死ぬでしょう。
私の最期の仕事なんですから。
…。
「幾度目かの最期」

高校生時代から詩作を始め、
18歳のときに書いた作品
「ドミノのお告げ」(「落ちてゆく世界」の
改作)により芥川賞候補になります。
しかし、1952年12月31日、
「幾度目かの最期」を書き上げた直後に
鉄道自殺を図ります。
わずか21年で散ってしまった
命と才能が惜しまれます。

女は五通の手紙をしたためた。
そしてそれを四人の女と
一人の男に手渡した。
その手紙には
こう書かれてあった。
わたくしはあなたの最愛の人を
奪ったのでございます。
わたくしは悪魔に
かしずくことを
約束いたしました…。
「女」

デザイナー・諏訪子は
マネキンと語り合う。
「あなたは一体
誰がわるいと云うの。」
「誰が悪いとも云わないわ。
唯、誤算があったのよ。」
「誰に誤算があったの。」
「あなたよ。」
諏訪子は次第に
追いつめられていく…。
「鋏と布と型」

私が現在、死ぬとしたら
どんな事を云うかと兄弟で考えた。
誰もが云った、
「ゲラゲラ」哄笑して
死ぬだろうと。
でもゲラゲラ笑って死ねたら
私は本望だが、きっと、私は、
何も云わずに死ぬだろう。
生に執着がないわけではない…。
「南窗記」

若さもあり、
美貌もあり、
才能もあり、
家柄(川崎造船創業者の孫)も
ありながら、
本来は光ある未来へ突き進むべき、
それが当然でもある女性が、
なぜあえて自ら死へと
向かわなければならなかったのか?

あまりにも短く疾走した
久坂葉子の文学世界。再々評価の
気運が高まることを願います。
67年前の今日、
儚くも散ってしまった幻の作家の魂に、
合掌。

(2019.12.31)

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