「女」「鋏と布と型」「南窗記」(久坂葉子)

やはり久坂は「死」に魅せられていた

「女」「鋏と布と型」「南窗記」
(久坂葉子)(「幾度目かの最期」)
 講談社文芸文庫

女は五通の手紙をしたためた。
そしてそれを四人の女と
一人の男に手渡した。
その手紙には
こう書かれてあった。
わたくしはあなたの最愛の人を
奪ったのでございます。
わたくしは悪魔に
かしずくことを
約束いたしました…。
「女」

デザイナー・諏訪子は
マネキンと語り合う。
「あなたは一体
誰がわるいと云うの。」
「誰が悪いとも云わないわ。
唯、誤算があったのよ。」
「誰に誤算があったの。」
「あなたよ。」
諏訪子は次第に
追いつめられていく…。
「鋏と布と型」

私が現在、死ぬとしたら
どんな事を云うかと
兄弟で考えた。
誰もが云った、
「ゲラゲラ」哄笑して
死ぬだろうと。
でもゲラゲラ笑って死ねたら
私は本望だが、きっと、私は、
何も云わずに死ぬだろう。
生に執着が
ないわけではない…。
「南窗記」

何度か取り上げた久坂葉子作品です。
全7篇のうち、
すでに4篇は紹介済みです。
この残り3篇ですが、
「女」は短編小説、
「鋏と布と型」は戯曲、
「南窗記」は随筆からの抜粋です。
やはりここにも
死の影が忍び寄っています。

「女」での、
「悪魔にかしずくこと」とは何か?
「女はそれからまもなく、
 剃刀で命を絶った。」

女の名は阿難。
久坂の作品「華々しき瞬間」の
主人公・杉原南子が阿難という別名で
自分を語っているのですが、
おそらく阿難=杉原=久坂なのでしょう。
彼女は四回目の自殺(未遂)で
睡眠薬と手首のカットを行っています。

「鋏」では、
諏訪子はマネキンとの問答の末、
死に辿り着いています。
(マ)「その後に
  くるものがわかって?」
(諏)「絶頂よ。」
(マ)「絶頂の後にあるもの、
  ある筈よ。」
(諏)「何よ。」
(マ)「死、死よ。
  まぬがれないものよ。」

「南窗記」では、
自身の死に対する
ドライな感覚が表れています。
「私はお墓もお供えもいらない。
 死んだら、犬でも食えばいい。」

やはり久坂は
「死」に魅せられていたのだと
考えるしかないのだと思います。
全ての作品に、
自身の「死」に繋がる情景が
盛り込まれているのです。

若さもあり、
美貌もあり、
才能もあり、
家柄(川崎造船創業者の孫)も
ありながら、
本来は光ある未来へ突き進むべき、
それが当然でもある女性が、
なぜあえて自ら死へと
向かわなければならなかったのか?

現代に生きる私たちは、
彼女の残した作品から、
「生きる」ということと
「死」ということの
双方を考えなければなりません。

(2019.12.31)

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