家族の中に自分の居場所がない事実
「ある心の破滅」
(ツヴァイク/川崎芳隆訳)
(「ある心の破滅」)角川文庫

一家で出かけた先のホテルで
深夜、発作に襲われ、
廊下の暗闇の中で
苦しみを和らげようとした老人。
一筋の光が漏れ、
ドアからドアへと移動したのは
紛れもなく彼の娘であった。
夜中に娘は誰の部屋へ?
疑念が老人を苦しめる…。
避暑地のホテルで老人が目撃したのは、
見知らぬ男の寝室から出てくる
娘の姿でした。
これまで大切に育ててきた一人娘が、
どこの馬の骨か分からない男と
一夜をともにしていた。
父親なら誰しも衝撃を受けるでしょう。
以来、彼は精神に変調を来し、
生きながらに心が破滅を迎えるのです。
彼は貧しい出身であったものの、
努力の果てに枢密委員顧問官という
地位を得たこと。
ただひたすら家族のために働き、
財を成したこと。
それらを妻と娘に与えてきたこと。
65歳という年齢に達し、
ようやく家族の憩いと安らぎを
彼が欲し始めたこと。
断片的に書かれている事実を
繋ぎ合わせると、
このような背景が見えてきます。
そのような中、彼は妻と娘を連れて
避暑地のホテルへとやってきたのです。
しかし二人は着飾り、
若い男と遊び回り、
彼を顧みようとはしなかったのです。
彼は娘のふしだらな行動を
目の当たりにしたために
精神を病んだのではありません。
それによって家族の中に
自分の居場所がない事実に
気付き始めたことが
精神の崩壊を呼び起こしたのです。
仕事に打ち込むあまり、
家族を振り返る余裕がなかったことが
推察されます。
それを彼の落ち度の如く指摘するのは
容易いことですが、
妻と娘が彼を軽蔑するその感覚も
非難されてしかるべきです。
いや、すべては老人も妻も娘も
金に固執した末の悲劇と
考えるべきなのでしょう。
わずか50頁の短篇作品ですが、
そのほとんどが、彼の心の壊れていく
過程の描出に当てられています。
彼の心の動きを一つ一つ
丹念に掬いとったかのような描写は、
重苦しく読み手に迫ってきます。
あたかも老人の鬱屈した精神が、
私たちに共鳴を求めているかのように
感じられるのです。
こうしたツヴァイクの
類い希な筆致もまた
本作品の読みどころの一つなのです。
それにしても一昔前の
日本のサラリーマンの姿と
何やら重なる部分の大きな作品です。
洋の東西を問わず、
男が働き、女が家庭を守るという
旧来の家族モデルには
限界があったということでしょう。
私も気をつけたいと思います。
あっ、でもそれほど稼いではいないか…。
(2020.3.8)

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