「田園交響楽」(ジッド)②

田園交響楽と運命交響曲

「田園交響楽」(ジッド/神西清訳)
 新潮文庫

この作品のタイトルですが、
もちろんベートーヴェンの
交響曲第6番「田園」から
とられたものです。
牧師がジェルトリュードを
音楽会へ連れて行ったときの演目が
この曲だったのです。
牧師は「うってつけ」だったと
感じています。
盲目の彼女にとっては、
欧州ののどかで美しい田園風景を、
心の中で描写するのに、
確かに「うってつけ」でしょう。

ところで、本作品は、
「第一の手帳」「第二の手帳」の
二部構成になっていて、
いずれも牧師の
手記の形を取っています。

「第一の手帳」では、盲目で
言葉も話せないジェルトリュードが、
牧師の真摯な指導によって
知性を獲得していく様子が
描かれています。
時間をかけてゆっくりと
人間として再生していくようすは、
まるで「ヘレン・ケラー自伝」のような
趣があります。
障害を担った者にとって、
献身的な愛情を注いでくれる
存在のあることは、
やはり幸せなことだと思うのです。

考えてみると、ジェルトリュードは、
牧師が引き取らなければ、
その日のうちにも飢え死にする
可能性があったのです。
それが知性と美貌を得て、
そして不可能と思われていた
視覚まで得ることができた。
これ以上の幸福があるのでしょうか。

しかし、幸せの内側に、
不幸もまた内包されていたのでした。
作者ジッドが
牧師の手記の形を取ったのは、
あくまでも牧師の主観から見た
物語を提示することで、巧みに
実際の状況を糊塗しているのです。
牧師の邪な愛情は、
自らは気付かないため、
「第一の手帳」には現れません。
でも、それを推察させる手がかりは
少しずつ提示されているのです。
そして「第二の手帳」では急転直下し、
牧師の欺瞞に満ちた愛が
明らかにされるのです。

さて、
ベートーヴェンの田園交響曲は、
実は一つ前の第5交響曲「運命」と
ほぼ同時期に創られたものです。
美しい旋律が特徴である「田園」と
正反対に、「運命」は冒頭から
荒々しい主題が鳴り響きます。
CDでは、この二曲が一枚に
収められていることが多いのです。

「第一の手帳」が田園交響曲なら、
「第二の手帳」は運命交響曲といえます。
「第一の手帳」でジェルトリュードに
美しい田園交響曲を聴かせた
牧師の愛は、
「第二の手帳」でついに、彼女に
運命の扉を開かせてしまったのです。

(2020.3.16)

Karen SmitsによるPixabayからの画像

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