「小説 天気の子」(新海誠)②

「それでも人は生きている」ということ

「小説 天気の子」(新海誠)角川文庫

あれから二年半の歳月が過ぎ、
帆高は再び東京へ渡る。
東京はすでに姿を変え、
その三分の一が水没した。
人々は西へと
その居住地を移動させたが、
それでもまだ
そこは東京であり続けた。
三年間、
雨が降り続いたにも関わらず…。

穂高が陽菜を救出したことにより、
天候は回復せず、それ以来三年間、
雨は降り続けたのです。
奇跡が起きてヒロインも救われ、
他の人々も幸せになる、というのでは
ないのです。
では、雨の降り続いた三年間とは、
どんな世界か?本作品には
詳しくは描かれていませんので、
想像するしかありません。

東京の1/3が水没しているのですから、
臨海地域の商業施設や
下町の工場等の中小企業は
移転を余儀なくされたはずです。
また、地下鉄をはじめとする鉄道網も
破壊されているはずですので、
交通体系にも
支障が出ていると思われます。
それだけでも大きな経済的混乱が
生じていることがうかがえます。

東京にだけ雨が降るわけでは
ないでしょうから、
関東圏の農業も
大きなダメージを受けているはずです。
雨天では営業の難しいレジャー産業も
多いはずです。
おそらく経済の混乱は、
特定の業種だけではなく、
全ての経済活動について、そして
それは首都圏だけの問題ではなく、
日本全域に及んでいると考えられます。

大切なのは「それでも
人は生きている」ということなのです。
変わってしまった世界で、
それでも人は生きているのです。
「止まない雨はない」といわれますが、
「雨の止まない」世界であっても
人は生き続けなければならないのです。

現実世界に目を向けてみます。
同じ状況が
起きているのではないでしょうか。
新型コロナウイルスの席巻により、
経済は壊滅的打撃を受け、
産業復興の見通しは立たず、
交通体系は一部縮小され、
人々は不自由な生活を
強いられています。

私たちは生活様式を
見直さざるを得ない状況下にあります。
「いつか収束する」ことを目指して
不自由な生活に耐えることとともに、
「収束しない」という最悪を想定し、
ウイルスと共存する生活様式に
移行することを
視野に入れはじめる時期に
きているのではないかと思うのです。

「どんなに雨に濡れても
 僕たちは生きている。
 どんなに世界が変わっても
 僕たちは生きていく。」

本作品の終末の一節です。
映画「天気の子」は、
近年の異常気象を背景につくられ、
昨年2019年7月に公開されましたが、
あたかもその翌年の世界のあり方を
予見したかのような
作品世界となっています。

※映画「天気の子」Blu-rayが
 一月後の5月26日に発売されます。
 楽しみです。

(2020.4.26)

FelixMittermeierによるPixabayからの画像

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