「入梅」(久坂葉子)

折しも訪れた入梅のように

「入梅」(久坂葉子)
(「久坂葉子作品集・女」)六興出版

戦争で夫に先立たれた「私」は、
幼い息子、そして
元下男であった作衛じいやと
絵ざらさで生計を立てている。
その仕事が軌道に乗ったため、
手伝いとして
おはるという娘を雇う。
いつしか作衛とおはるの関係が
気になり出す「私」…。

作衛は妻を亡くした老人。
おはるは結婚適齢期の娘。
恋愛関係など有り得ない年齢差です。
しかし、おはるは器量が悪い上、
足に障碍を抱えていました。
一方、作衛の亡妻も
おはるという同じ名前であり、
そして足が不自由だったのです。
終戦後という時代を考えれば
そういうことも起こり得たのでしょう。

長くは続きません。
縁談が急に決まり、
おはるは嫁いでいきます。
ところがうまくはいきません。
おはるは嫁ぎ先から離縁されます。
彼女は作衛が自分との関係を
夫に告げ口したから離縁されたのだと
「私」に訴えます。
「私」は作衛に暇を出し、
おはるにもどこか遠くで勤めるよう
諭します。

真相は作衛の口から
語られるのですが…、
どうにも救いようのない物語です。
でも、久坂の描こうとしたのは
老いらくの恋の悲劇などでは
ないでしょう。
問題は「私」の心境の変化です。

「私」は最初、
二人に嫉妬心を抱いていました。
夫を失った自分の体や心を
埋めてくれる存在が
見つからないにもかかわらず、
年老いた使用人と
器量が悪く障碍を持っている娘が
いい関係を作っている。
だから本作品の冒頭には、
毛虫を焼き殺す場面が描かれています。
「わたしは庭に降りて毛虫を探し、
 竹棒でそれをつきころしていた。
 めらめらと燃える
 たくさんの和紙の中に、
 毛虫共は完全に命を終えた。」

これがその当時の「私」の
心象風景なのでしょう。

しかし、二人を自分から離した後は
穏やかな心情が綴られていきます。
「私は二人っきりの生活が
 一番いいと思った。
 行雄と私の間をさくものはない。
 私はどんなに行雄を
 愛したっていいのだ。
 行雄の眼に、ふっと夫をみた。
 私は行雄を呼んだ。」

息子と二人で生きる覚悟を
固めることができたのです。

おはると作衛が出て行くことにより、
「私」自身を取り巻く状況は
悪化しています。
折しも訪れた入梅のように。
でも同時に「私」の心の中には、
爽やかな感情が
芽生え始めてもいるのです。
「二三日つづきそうな雨だった。
 植木が、つやつやした葉をして、
 その奥から沈丁花の香りが、
 かすかに流れて来た。」

女性の哀しさと強さを
描きつくした一品です。

※自らをモデルとしたような
 私小説的な作品が多い
 久坂葉子にとって、
 本作品は特異なものです。
 しかし、久坂が
 もう少し人生を歩んでいたならば、
 本作品を越える傑作群が
 生まれていたのではないかと
 想像されます。

※講談社文芸文庫刊
 「幾度目かの最後」には
 収められていない本作品。
 そのため文庫本ではないのですが、
 取り上げました。
 青空文庫で読むことができます。

(2020.6.10)

【青空文庫】
「入梅」(久坂葉子)

※久坂葉子の作品の記事です。

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