「父」(芥川龍之介)

芥川の真意は一体どこにあるのか?

「父」(芥川龍之介)
(「芥川龍之介全集1」)ちくま文庫

「自分」が中学4年生だった頃の
同級生に能勢という男がいた。
彼は他人に渾名をつけ、
笑いを取るのが得意だった。
その日も待合室を行き来する
大人たちを笑い飛ばしていた。
仲間が「あいつは
どうだい」といった
その妙な男は実は…。

旧制中学4年生といえば、
今の高校1年生です。
私にも記憶があります。
その年代は、自分では
何もできないにもかかわらず、
大人を馬鹿にして
小さな満足を得ようとする年代です。
この「能勢」という同級生も同様です。

その日、それは彼らが
修学旅行に出かける朝です。
停車場を出入りする大人たちに
渾名をつけて嘲笑していた彼らの一人が
「あいつはどうだい」と指さした大人は、
実は能勢の父親だったのです。
能勢は一言、
「あいつはロンドン乞食さ」。

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この「能勢五十雄」という人物、
実は実在です。
つまり「自分」は
作者・芥川龍之介自身であり、
この顛末は
実話ということなのでしょう。
芥川はどういう意図で
この作品を書き上げたのか?
手掛かりは能勢の父親の
描き方の変化です。

「その男は羊羹色の背広を着て、
 体操に使う球竿のような細い脚を、
 鼠の粗い縞のズボンに
 通している。(中略)
 その癖頸のまわりには、
 白と黒と格子縞の
 派手なハンケチをまきつけて、
 鞭かと思うような、
 寒竹の長い杖をちょいと脇の下へ
 はさんでいる。」
という
明らかに侮蔑の念の見える描き方から、
「この現代と縁のない洋服を着た、
 この現代と縁のない老人は、
 めまぐるしく動く
 人間の洪水の中に、
 これもやはり現代を超越した、
 黒の中折をあみだにかぶって、
 紫の打紐のついた懐中時計を
 右の掌の上にのせながら、
 依然としてポンプの如く
 時間表の前に
 佇立しているのである……」

変転しています。

芥川は能勢の父親を決して
時代遅れの人間とは見なしていません。
浮ついた時代の流れなどに乗らず、
どっしりと世の中に腰を下ろし、
自分の存在感を
保ち続けていることに対する
畏敬の念が感じられます。

中学卒業後に早世した能勢への
弔辞に入れた一句
「君、父母に孝に、」は、
芥川得意の「皮肉」と捉えるべきです。
芥川は「父親」というものの存在に、
敬意を払っていたと考えるのが
妥当なのでしょう。

ただし芥川の作品は、
純粋な捉え方をしてはいけない作品が
多いのも事実です。
芥川の真意は一体どこにあるのか?
いろいろな解釈の
可能な作品だと思います。

(2020.7.3)

Pete LinforthによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「父」(芥川龍之介)

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