「幸福な王子」(ワイルド)

王子の純粋無垢な心が極限まで浮き彫りとなっている

「幸福な王子」(ワイルド/西村孝次訳)
 新潮文庫

夏を過ごしすぎ、
仲間と離れてしまったツバメは、
エジプトに帰る途中、
「幸福の王子」と呼ばれている
銅像と出会う。
王子は自分の体の宝石や金箔を
貧しい人々に与えるよう
ツバメに頼む。
すべての金箔を分け与えた頃、
冬は深まり…。

おそらくは誰もが知っている
童話だと思います。
私も幼稚園児の頃、
紙芝居で観た記憶があります。

結末が分かっているにもかかわらず、
何度読んでも感動してしまいます。
ツバメが寒さに凍えて死に、
それを知った
王子の鉛の心臓も割れてしまう。
でも、大人になって読むと、
子どもの頃とはちょっと違った
読み方になってしまいます。

この王子はやはり何も知らない
「幸福の王子」なのです。
王子の独白にあるように、
生きている間は
憂いを知らない宮殿の中で、
何も知らずに幸せに生きてきました。
死んで初めて自分の国に
不幸が蔓延っていることを
知ったのです。

銅像になってからも、
金箔を運び続ける
ツバメの衰弱に気付きません。
ツバメの別れの言葉を
エジプトへの帰郷の挨拶だと
勘違いしているのです。
ツバメが命を落としたことで
初めて状況を理解します。
心臓が割れるほどの
衝撃を受けたのですから、
やはりこの王子、
何も知らずに生きてきたのでしょう。

さらに穿った見方をするならば、
財宝を与えたところで、
根本的な貧困が解決するわけでは
ないだろうと思うのです。
仮にも生前、
施政者の立場であったのなら、
やるべきことはもっと違った形で
あるべきではないでしょうか。
やはり何も知らない
「幸福な王子」なのです。

でも、だからこそ、
この王子の無垢な純真さが
迫ってくるのだと思うのです。
大人のように
あれこれ考えて悩むのではなく、
自分の目の前にある困った人たちに、
自分のできることで救済を図る。
純真な王子の姿がそこにあるのです。

王子とツバメが
命をかけて救おうとした街は
美しくなったか?
否です。
最終場面には
綺麗でなくなった王子像を
蔑む貧しい心の市民の姿と、
私利私欲を隠そうともしない
政治家の姿が描かれています。
もしかしたら現状は
何も変わらなかったのかも
知れない、という不安が
かき立てられるのです。
だからといって
感動が薄まるのではありません。
「幸福な王子」の呼び名とは裏腹な
シニカルな現実によって、
王子の純粋無垢な心が、極限まで
浮き彫りとなっているのですから。

よく考えれば、
「サロメ」や「ドリアン・グレイの肖像」
書いたワイルドが、
真っ正直に子ども向けの童話を
書いたとは思えません。
極めてワイルド的な童話です。

(2020.12.25)

※参考までに本作品集の収録作品を。
「幸福の王子」
「ナイチンゲールとばらの花」
「わがままな大男」
「忠実な友達」
「すばらしいロケット」
「若い王」
「王女の誕生日」
「漁師とその魂」
「星の子」

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