「武器よさらば」(ヘミングウェイ)②

戦争に加担した人間の辿る末路

「武器よさらば」
(ヘミングウェイ/高見浩訳)新潮文庫

逃亡兵として戦場を離脱した
フレデリックは
無事に妻・キャサリンと
落ち合うことに成功する。
自身の逮捕の情報を得た彼は、
妻の安全な出産のため、
スイスへと逃げ落ちる。
ところが予想外の難産の末、
彼女は子とともにその命を…。

結末がわかってしまって
申し訳ないのですが、
名作ですから構わないでしょう。
キャサリンは難産の末、
生まれてきた子とともに
命を落とすのです。
その最終場面も
やはり事実だけが記され、
淡々として終わります。
「ぼくは病院を後にし、
 雨の中を歩いてホテルにもどった。」

フレデリックの感情は
一切排されています。

前回はフレデリックの
恋愛感情の高まりを、
その間に挟まれている戦争体験から
読み解く試みを行いました。
しかしこの結末は、
本作品が「戦争を舞台背景とした
恋愛小説」という仮説に、
明確に「否」を突きつけます。

フレデリックがアメリカ人でありながら
欧州の戦争に参加した経緯は
全く説明されていません。
しかし何らかの事情を抱えて
「戦争に参加した」ことは事実です。

昨日記したとおり、
フレデリックは二度、
命拾いをしています。
一度目は砲撃を受け、
脚に重傷を負ったとき、
二度目は友軍から銃撃を受けた後、
憲兵に疑惑を持たれて
殺害されそうになったときです。
一度目は戦争であり、
相手があることから
当然のことと考えられます。
しかし二度目は
あってはならないことです。
逃げなければ
確実に銃殺されていたはずです。
逃げれば逃げたで
逃亡兵として逮捕されるのです。
いずれにしても
理不尽極まりありません。
その理不尽さこそが
「戦争」の本質であると、
作者・ヘミングウェイは
述べているかのようです。

戦争に嫌気がさし、
脱走兵として生き延びる決意をした
フレデリック。
彼にははキャサリンという
大きな存在があり、
彼はそこへ安らぎを求めて
帰ってきたのです。
しかし彼はそのキャサリンを
いとも簡単に失ってしまいます。
彼は戦争での「死」から
逃れることはできたのですが、
希望に満ちた「生」は
結局得られていないのです。
戦争に加担した者には
安寧の瞬間は訪れないという
ことなのでしょうか。

そうなると、
フレデリックとキャサリンの恋愛こそ
本作品の「背景」に過ぎず、
作者が本当に描きたかったのは
「戦争のむなしさ」
「戦争の理不尽さ」
「戦争に加担することの罪悪」だったと
考えられます。
戦闘の激しさや
それによって命を奪われる
人間の悲惨さを
直接的に描くのではなく、
戦争に加わった人間の辿る末路
(明るい明日は決して訪れないという)を
暗示的に描き、
その非人間性を浮き彫りに
しているのです。
「男女の恋愛を軸とした反戦小説」。
それが本作品の本質ではないかと
思えるのです。

ヘミングウェイは
素直な作家ではありません。
彼の作品には、
登場人物の感情描写もなく、
登場人物たちの
詳しい事情も説明されず、
作者自身の主義や思想も
表面には現れません。
読み手はそれを
淡々と示された事実から読み解く以外、
作品の本質には
迫ることができないのです。

先日取り上げたロシアの
ドストエフスキーの場合は、
作品自体が読み手に
多くのことを語りかけてきます。
作者の思想も暗号として
作品の至る所に潜んでいます。
ところがこのアメリカの作者の場合、
そうしたものが一切
記されてはいないのです。
読み手もまた作者と同等の創造性を
持って臨まなければいけないのです。

アーネスト・ヘミングウェイ
恐るべき作家です。
そして「武器よさらば」。
恐ろしく深い作品です。
何年かの時間をおいて、
もう一度読み味わいたいと思います。

(2021.1.20)

Bruce MewettによるPixabayからの画像

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