「安井夫人」(森鷗外)

佐代が未来に望んでいた「何物か」とは?

「安井夫人」(森鷗外)
(「森鷗外全集5」)ちくま文庫

背が低く色黒で
醜男かつ片眼の仲平に
嫁を取らそうと、
父・滄洲翁が目を付けたのは、
仲平の従妹にあたる
二十になるお豊であった。
お豊はその縁談を断るが、
妹・お佐代が
自ら嫁入りを申し出る。
お佐代は十六で、
器量良しだった…。

鷗外版「美女と野獣」とでも
言いたくなるような
人物配置なのですが、
そのようなロマンチックな
筋書きではありません。
江戸末期に名をなした儒者安井息軒の
足跡を記した
歴史文学としての作品です。
しかし作者・鷗外の興味は
表題「安井夫人」で明らかなように、
息軒その人ではなく、
その夫人・佐代にあったのです。
それでいながら佐代自身は
筋書きの前面にはほとんど現れません。
粗筋で取り上げた
嫁入りを申し出る場面のみで、
そのほかの記述は息軒の生涯を
淡々と追っているだけなのです。

若さと美しさを持った佐代が、
自らの意志で不釣り合いとしか
いいようのない仲平に嫁ぎ、
倹約家の仲平に
不平不満を言うこともなく仕えた。
鷗外が興味を持ったのは
その点だったと思うのです。
黒木孫右衛門という人物の口を借りて、
鷗外はこのように(おそらくは)
感想を吐露しています。
「はあ。ご新造さまは
 学問をなさりましたか」
「いいや。学問というほどのことは
 しておりませぬ」
「してみますと、ご新造さまの方が
 先生の学問以上の
 ご見識でござりますな」
「なぜ」
「でもあれほどの
 美人でおいでになって、先生の
 夫人におなりなされたところを
 見ますと」

そして終末に
自らの見識を提示しています。
「お佐代さんは必ずや未来に
 何物をか望んでいただろう。
 そして瞑目するまで、
 美しい目の視線は遠い、遠い所に
 注がれていて、あるいは
 自分の死を不幸だと感ずる余裕をも
 有せなかったのではあるまいか。
 その望みの対象をば、
 あるいは何物ともしかと
 弁識していなかったのでは
 あるまいか。」

本作品が書かれたのは1914年。
平塚雷鳥が中心となって
婦人雑誌「青鞜」が発刊された
3年後であり、
女性解放運動が叫ばれていた時期と
重なります。
自ら嫁ぎ先を選択した佐代の姿は、
雷鳥が提唱した「新しい女」の具体像と
重なる部分が少なくないと
考えられますが、
だからといって佐代の生き方が
(当時としても)「新しい女」のそれとは
思えません。
嫁ぎ先を自分の意志で決めたとはいえ、
姉の断った縁談に
名乗りを上げただけであり、
結婚後は貞淑な妻として
生涯を終えたのですから。

佐代が未来に望んでいた「何物か」を
読み解くことが本作品の理解に
つながるのは間違いないのですが、
それが難しいのです。
「夫の出世」などという
ちっぽけなものでないことは
確かだと思うのですが、
では何かと問われると答えに窮します。

本作品も、何年後かに再読してみたいと
思えるものの一つです。
時間をおいて読み返したとき、
「何物か」が明確な形となって
現れてくることを待ちたいと思います。

※もしかしたら鷗外自身も
 はっきりと理解していなかったのでは
 ないかとさえ思えます。
 学問の大家となった息軒の妻が、
 美貌と若さを持ち、
 夫を支えることに
 人生を捧げていた事実に接し、
 ただただ感動したその気持ちを
 作品として表したに過ぎないのかも
 知れません。
 なぜなら鷗外の妻・志げは
 (世間一般では)「悪妻」として
 通っていたのですから。

(2021.6.7)

PexelsによるPixabayからの画像

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【青空文庫】
「安井夫人」(森鷗外)

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