「八月の路上に捨てる」(伊藤たかみ)

夢に敗れ、現実にも破れた若者の悲哀

「八月の路上に捨てる」(伊藤たかみ)
(「八月の路上に捨てる」)文春文庫

「八月の路上に捨てる」文春文庫

明日の30歳の誕生に
離婚する敦は、
今日で職場を去る
女性ドライバー・水城に
その顛末を語る。
水城もまた離婚経験者だった。
自動販売機の補充に回る
トラックの中で、
敦は結婚生活を振り返りながら、
一人になることを実感し…。

翌日9月1日に30歳を迎え、
その日に離婚届を出す約束を
妻と交わしたアルバイト作業員・敦。
この日を限りにドライバーから
総務課への異動が決まっている水城。
仕事でコンビを組んでいた二人の
最後の一日、8月31日の
作業の様子が綴られていきます。

もしかしたら
本作品を読み終わったあと、
「だから何?」という感想を持つ方も
いらっしゃるかもしれません。
なぜなら、何も起きないからです。
しかし、
淡々と語る敦の述懐の中にこそ、
夢に敗れ、現実にも破れた若者の悲哀が
十全に描かれているのです。

一つは夢の破綻です。
映画の脚本家になることを
志していた敦は、
大学卒業後も就職せず、
その夢を追いかけていました。
しかしその見込みもないまま
明日には30歳を迎えるのです。
「パイロット」「医者」「警察官」
そうした「夢」なら、
道筋はすでに示されているのですから、
実現も、そして「見切り」も楽でしょう。
「脚本家」という「夢」の場合、
道筋を見通すのも、
そして踏ん切りを付けるのも
自ずと勇気が必要となります。

もう一つは結婚生活の破綻です。
学生時代から付き合っていた
妻・知恵子は、
雑誌編集者を目指していたのですが、
ことごとく失敗、
とりあえずは他業種へ就職、
それを機に二人は結婚します。
しかし敦が夢を追い続けていることに
知恵子は嫉妬し、
敦は敦で知恵子から
夢を強要されているように感じ、
次第にすれ違っていきます。

夢を実現するのが難しい時代に
なってきたのかもしれません。
生きていくのに
金がどうしても必要になるからです。
金がなくとも生きていられるのなら
夢を追う術もあるのでしょうが、
金を得るためには
夢を置き去りにせざるを得ないのです。
敦は夢を追うことも退くこともできず、
そして現実の結婚生活を
維持することもできず、
30歳を目前にしてただ一つ、
結婚生活に区切りを付けることのみが
できたのです。

二人の会話に現れる
詰将棋の「けむりづめ」の話が
暗示となっています。
「けむりづめ」とは、
自駒を失いながらも果敢に攻め込み、
すべてを失いつつも最後に玉を詰める、
そのため一手でも間違うと
終局を迎える、というものです。
そのように失うものが多くても、
最後に勝ち取るものがあるのなら
いいのでしょう。
しかし現実の生活では、
一つ一つ失って、最後に
何も残らないことだってあるのです。
いや、むしろその方が
多いのかもしれません。

離婚する敦と、
年上の水城の間に何かが起こり、
救いが見られるのではという
読み手の淡い期待を裏切り、
物語は結末を迎えます。
水城の再婚が決まっていることを、
敦も最後に知らされるのです。
そして敦は本当に一人になるのです。

本作品は主人公・敦の
苦々しい青春の幕切れを味わい、
現代を生きる若者の
「生きにくさ」を感じ取るべき
作品なのでしょう。
本作品はエンターテインメントを
追求した大衆文学ではありません。
人の生き方在り方に問題提起をした
純文学なのです。

※ちなみに本作品は第135回芥川賞
 (2006年)受賞作品です。
 この受賞に前後して
 作者・伊藤たかみは同じ作家の
 角田光代と結婚しています。
 そして2008年には離婚。
 この作品は自身の結婚生活を
 予感したもの…?

※本作品のほかに「貝から見る風景」
 「安定期つれづれ」の
 二編が収録されています。

近所のスーパーの
「お客様の声」コーナーに、
淳一は目を止める。
「ふう太郎スナックが
売り場から消えて困っている」と
いうものだった。
その名の菓子は存在しない。
淳一はその投書をした
女性について、
あれこれ空想を膨らませる…。
「貝から見える風景」

英男は禁煙の決意をし、
禁煙パイプを使っている。
身重の娘・真子が
帰ってきたからだ。だが、
娘の表情は浮かない。
入籍する晃一と
何かあったのかもしれない。
娘は二度目の結婚だった。
心配する妻・静江と
英男の会話はかみ合わず…。
「安定期つれづれ」

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