「悲しいだけ」(藤枝静男)

悲しみを乗り越えようとする強い魂

「悲しいだけ」(藤枝静男)
(「百年文庫055 空」)ポプラ社

「私」と妻の結婚生活は
三十九年であったが、
妻が健康だったのは
最初の四年間だけで、
肺結核を宣告された後の
三十五年間は、
全て病魔との戦いだった。
「私」が煙草をのんでいると、
妻は傍らで
「私にもください」と言った。
妻はもう…。

表題どおり、
「悲しいだけ」の思いが迫ってくる、
読んでいて辛くなる作品でした。
妻との闘病生活を綴った
藤枝静男の本作品、
考えさせられる点が多々ありました。

「老い」と「死」は
誰にも避けることはできません。
できるならば連れ合いと一緒に、
寿命の尽きるときが訪れるなら、
それがもっとも幸せです。
しかし、夫婦の多くは、
どちらかが先に逝き、
どちらかがそれを見送ることに
なるはずです。
先に逝く方も苦痛ならば、
後に残される方も
苦悩することでしょう。

特に作者・藤枝静男の場合、妻の闘病が
三十五年にも及ぶのですから、
その半生自体が苦悩の連続だったに
違いありません。

しかし、本作品の表題「悲しいだけ」は、
最愛の妻が闘病の果てに
帰らぬ人となり、
ただ「悲しいだけ」である、
ということではありません。
そこには人間の生と死を見つめ、
愛しい人を失った悲しみを
乗り越えようとする
強い魂が感じられるのです。
「私の頭のなかの行くてに
 大きい山のようなものの姿がある。
 その形は、思い浮かべるどころか
 想像することも不可能である。
 何だかわからない。
 しかし自分が少しずつでも進歩して
 或るところまで来たとき、
 自分の窮極の行くてに
 その山が現れてくるだろう、
 何があるのだろう、
 わからないと思っているのである。
 今は悲しいだけである。」

藤枝静男は昭和十一年に
千葉医大を卒業、二年後には
眼下開業医の娘・智世子と結婚し、
二人の娘をもうけます。
その後、妻・智世子が病に倒れ、
以来三十五年間に渡り、
眼科医院を営む傍ら、
執筆活動を続けてきたのだそうです。
何という強靱な意志の
持ち主だったのかと、
仰ぎ見る思いでいっぱいです。

「大きい山のようなものの姿」は、
果たしてその後の藤枝の目に
はっきり見えていたのでしょうか。
今となっては知る術はありません。
私たちもまた、
自分とつながりのある者の
生と死を見つめながら、
人が生きるということ、
そして人が死ぬということの意味を、
自らの生き方と照らし合わせながら
考えていかなくては
ならないのでしょう。

(2021.9.2)

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