人間の心が、魂が、肉体が変貌した三作品
「百年文庫086 灼」ポプラ社

「母 ヴィーヒェルト」
反逆の疑いをかけられて
収容所に送られていた女性が、
終戦によって家に帰ってきた。
家には家族のほかに
数人の兵士がいて、
不穏な空気をもたらしていた。
彼女の息子の一人は片腕を失い、
拘束されていた。
息子の罪は一体、…。
百年文庫86巻「灼」は、
ドイツ・イギリス・日本の
戦争文学三篇を収めています。
それも戦争による人間の変貌を描いた
作品群です。
「母」には、
ナチスドイツ軍人として母を密告した
息子を持つ母親が描かれています。
息子を恨むのではなく、
終戦によって押し寄せてきた
連合国軍人たちに、いや、
戦争そのものに対して、
感情を押し殺しながら、
極めて穏やかな言葉で、
しかし毅然とした決意を持って語る
「母」の言葉が印象的です。
「メアリ・ポストゲイト
キプリング」
ミス・ファウラーの付添婦として
雇われたメアリ。
彼女はファウラーの甥・
ウィンとも打ち解けて
生活していた。
やがて戦争が始まり、
ウィンは飛行機事故で
命を落とす。そんな折、
彼女は庭に異国人の男が
倒れているのを発見し…。
「メアリ・ポストゲイト」には、
善良な女性が、
戦争を憎むあまりに殺人を犯すまでが
描かれています。
敵国兵を始末したのちの、
メアリのごく当たり前のことを
成し遂げたような振る舞いと心情が、
戦争の異常性を浮き彫りにしています
(ここに描かれている戦争は
第一次世界大戦)。
「夏の花」には、
昨日までごく普通に暮らしていた
人間たちが、一瞬のうちに
名前のない死体に変化してしまった
様子が克明に描出されています。
その人間が
どのような生き方をしてきたのか、
このあとどのような人生を歩むのかに
全く関わりなく、一瞬のうちに
一様に命を奪っていった原爆の特質が
端的に表されている作品です。
「夏の花 原民喜」
1945年8月の広島。
突然「私」の頭上に
一撃が加えられ、
眼の前に暗闇がすべり墜ちた。
何が起きたのかわからぬまま
逃げ惑う「私」は、
目を覆うような惨状を目撃する。
やがて「私」は次兄とともに、
甥の変わり果てた姿に
遭遇する…。
すべて灼熱の炎に灼かれるがごとく、
人間の心が、魂が、肉体が変貌した
三作品です。
読み進めるのが辛いのですが、
読む必要性を強く感じさせます。
戦争の悲惨さは
決して忘れてはいけないものです。
しかしながら、
そうした戦争文学を描いた
この三人の作家たちは、
ややもすると忘れられがちです。
ヴィーヒェルトはその作品のほとんどが
現在では読むことができません。
キプリングも
「ジャングル・ブック」が有名ですが、
他の作品はあまり知られていません。
原民喜も本作品が一時期高校教科書に
掲載されていたのですが、
現在名前を知っている日本人が
どれだけいるか、
心もとない状況でしょう。
「火垂るの墓」「ひめゆりの塔」など、
一部の有名戦争文学の影に
隠れがちですが、
見落としてはいけない作品たちです。
三作品で描かれているのは
第一次・第二次世界大戦の悲劇ですが、
現代を生きる私たちは、
第三次世界大戦の予兆とも思える
悲惨な現実を、
現在突きつけられています。
戦争とは、七十数年前の
世界がまだ幼かった日の愚行とばかり
思っていました。
ところが世界にはいまだ、
幼稚さと邪険な暴力を
そのまま留めていた国があったことに
私たちは気づかされています。
人類全体を、世界全体を、地球全体を、
どのようにして成熟させていくか、
私たち一人一人の
姿勢と見識が問われています。
(2022.3.9)

【青空文庫】
「夏の花」(原民喜)
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