「レ・ミゼラブル」(ユゴー)②

優れた文学作品は同時に、優れたミステリでもある

「レ・ミゼラブル」
(ユゴー/永山篤一訳)角川文庫

彼には二つの道が見えていた。
それまでの人生で、
道は一本だと思い込んでいた
彼にとって、
道が複数見えるのが
恐ろしかった。
さらに困ったことに、
二本の道はそれぞれ
逆方向に進んでいたのだ。
どちらが真実に
通じているのか…。

前回がジャン・バルジャンの葛藤なら、
こちらはそれを追う
警部ジャヴェールのものです。
ジャンが終始葛藤し続けたのに対し、
ジャヴェールの葛藤は
これ一度きりです。
そしてそれが本編を貫く
ジャヴェールの追跡劇の
幕切れとなるのです。
文学作品として超一級の完成度を持つ
本作品は、
犯罪者を追跡する警察官を描いた
ミステリでもあり、
エンターテインメントとしても
極上の味わいを創り上げているのです。

ジャヴェールは
ジャンを執拗に追い続けます。
「警察官であるなら当たり前」と
考えてはいけません。
ジャンは脱獄を繰り返したものの、
それを含めた刑期を
全うしているのです。
刑期終了後に教会から持ち出した
銀食器については、
司祭が贈与を認めているのですから
犯罪として成立していません。
少年の銀貨一枚を
結果的に盗んだ一件も、
足下でそれを踏みつけていたことを
自覚していなかったのですから、
これも罪には問われないはずです。
それらによる再度の服役中の脱走
(結果として)も、
水夫救出の結果としての海面転落と
その捜索がなされなかったことを
勘案すると、
もはやどこに「犯罪」が存在するのかも
はっきりしないのです。

ただしこれは現在の先進国一般の法的な
基準をもとにした見解に過ぎません。
言い換えれば、19世紀フランスでは、
決してそのような見方考え方が
当たり前ではなかったのです。
おそらくは
「犯罪者は社会の不要物」として
排除され続けていたのでしょう。

作者・ユゴーは、
明確にそうした思想を否定しています。
それゆえにジャンに命を救われた
ジャヴェールに葛藤を与え、
そしてそれまでの考えを自己否定させ、
彼自身をセーヌ川への入水という形で
物語から退場させたのでしょう。

人間性を無視しての法規万能主義は、
支配者が効率よく人民を管理する上で
有効な手段であり、
それは統治される者だけでなく
統治する側もまた法によって
拘束されなければならないという
「法の支配」とは似て非なるものです。
「法」はあくまでも
人民のためのものでなくてはならず、
支配者のためでもなければ
ましてや「法」そのもののための
存在ではないのです。
ジャヴェールの前に広がっていた
二つの道は、
それらだったのでしょう。

難しい話はさておいて、
ジャヴェールの追跡とジャンの逃走は、
物語の軸の一つです。
自らの正体を法廷で明かしてからの
逮捕までの流れ、
そしてコゼットを引き取った後の
修道院潜伏までの逃避行、
戦場での再会、
どれもがスリリングであり、
手に汗を握る展開となっています。
これはとりもなおさずジャヴェールが
法規万能主義者(=体制側の人間、
古い思考タイプの人間)として
確固たる性格を与えられていたから
こそのものなのです。
一つ一つの場面の具体については、
ぜひ読んで確かめてください。

振り返ってみると、
ドストエフスキーの「罪と罰」も
文学作品でありながら
ミステリの横顔を持っています。
ディケンズの「オリヴァー・ツイスト」や
モームの「月と六ペンス」にも
謎解きの要素が盛り込まれています。
シェイクスピアの「ハムレット」も
犯罪小説的な展開を
持ち合わせています。
優れた文学作品は同時に、
優れたミステリでもあるのかも
知れません。

前回はジャンに焦点を当て、
文学作品として、
今回はジャヴェールに視点を移し、
ミステリとして、
本作品の魅力について考えてみました。
まだまだ冒険小説、メルヒェン、
恋愛小説、歴史(仏史)解説、
哲学啓蒙書、等々、
多くの顔を持つ作品です。
それぞれについて
述べたいところですが、
それは数年後の再読した機会に
譲りたいと思います。

(2022.5.16)

453169によるPixabayからの画像

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