「八ツ山羊」(呉文聡)

文学とも幼児教育とも関わりのなかった人物がなぜ?

「八ツ山羊」(呉文聡)
(「日本児童文学名作集(上)」)岩波文庫

「日本児童文学名作集(上)」

むかしむかし八ツ子をもちし
牝山羊ありけり、
なかよくおしよ。
ある日市街に行かんとして
子どもらにむかひ、
るすのうちはかたく戸をとぢて、
たれがきたるとも
かならずあくることなかれ、
皆々おとなしくるすせよ、
みやげには…。

と、冒頭の一節を載せましたが、
本作品はグリム童話の
「狼と七匹の子山羊」の本邦初の翻訳、
それも明治20年の作品なのです。

さすが明治20年だけあって、
旧仮名遣いで読みにくいこと
この上ありません。
しかしながら本作品は小冊子、
それもカラー(多色刷り)の挿絵主体の
いわゆる「絵本」、
しかも当時画期的な「仕掛け絵本」として
子どもたちにために
編まれた作品なのです。

これが1頁目です。
当時としてはかなり鮮明な
カラー印刷技術です。

「八ツ山羊」(呉文聡)1

で、どこが「仕掛け絵本」かというと、
まずはオオカミが子山羊たちの家を
訪れる場面での
「家の扉」が開く仕掛けです。

「八ツ山羊」(呉文聡)2

もう一つは食べられた子山羊たちが、
オオカミのおなかの中から
救出される場面です。
仕掛けを開くとオオカミのお腹から
八匹の子山羊が顔を出します。

「八ツ山羊」(呉文聡)3

現代であれば「たったこれだけ?」と
なるのでしょうが、明治20年です。
絵本など見たことのない
当時の子どもたちにとって、
本冊子がどれだけ衝撃的だったか
想像に難くありません。

「八ツ山羊」(呉文聡)4

さて、この翻訳(翻案)者・
呉文聡(くれふさとし)とは
どんな作家だったのか?
実は本業は統計学者であり、
文学とも幼児教育とも
何の関わりもなかった人物なのです。
逓信省(かつての郵政省、現在でいえば
総務省)の官吏だったのですが、
そのようなお堅いところに
務めていた人物がなぜ絵本を?
いろいろな資料を調べてみても、
「どういう経緯で
本書を著すことになったのかは
不明」としか出ていません。
今となっては謎なのです。

本冊子は、
「西洋昔噺」叢書なるシリーズ企画の
第一編として出されたようなのですが、
この一冊だけで
終ったといわれています。
続いていれば、
鈴木三重吉の「赤い鳥」など
問題にならないくらいの
児童文学書となった
可能性すらあります。

なお、グリムの原作と比較すると
異なるところが多々あります
(そもそも七匹だったのが、
なぜか八匹に増えている)。
グリムの書いたドイツ語からの
直接翻訳ではなく、
英訳本からの重訳であったことと、
当時の流れとして正確な翻訳など
誰も考えていなかった(いわゆる
「翻案」が主流)ためであると
考えられます。
何はともあれ、こうした動きがあって、
日本文学、そして日本児童文学が
次の段階へと進化したことは
間違いありません。
デジタル時代であり、
ネットで国立国会図書館のデータを
閲覧することが可能です。
しっかりと愉しみましょう。

国立国会図書館デジタルコレクション
 こちらからどうぞ

〔本書収録作品一覧〕
イソップ物語(抄) 福沢諭吉
八ッ山羊 呉文聡
不思議の新衣裳 巌本善治
忘れ形見 若松賤子
こがね丸 巌谷小波
三角と四角 巌谷小波
印度の古話 幸田露伴
少年魯敏遜 石井研堂
万国幽霊怪話(抄) 押川春浪
画の悲み 国木田独歩
春坊 竹久夢二
赤い船 小川未明
野薔薇 小川未明
鈴蘭 吉屋信子
ぽっぽのお手帳 鈴木三重吉
デイモンとピシアス 鈴木三重吉
ちんちん小袴 小泉八雲

(2023.1.12)

Sasin TipchaiによるPixabayからの画像

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