「肉塊」「港の人々」(谷崎潤一郎)

「痴人」ナオミと同じ匂いの少女グラントレン

「肉塊」「港の人々」(谷崎潤一郎)
(「潤一郎ラビリンスXV」)中公文庫

「潤一郎ラビリンスXV」中公文庫

映画制作を開始した吉之助は、
パーティで紹介された
混血の少女・グラントレンに
心を奪われる。
彼はこの少女こそ
探し求めていた女神であると
確信する。
映画は順調に進行するが、
ある夜、彼は
スタジオに潜んでいた
グラントレンと…。
「肉塊」

谷崎潤一郎の妖しげな一篇です。
表題からしてすでに十分なほど
妖しさが漂っているのですが、
前半はきわめて真面目です。
谷崎らしからぬ実直な主人公です。
しかし途中から、
やはり谷崎らしさが前面に押し出され、
最後は谷崎作品らしい終わり方を
迎えます。

〔主要登場人物〕
小野田吉之助
…私財を投げ打って映画制作を目指す。
 商家の跡継ぎ。
小野田民子
…吉之助の妻。
 貞淑で夫を懸命に支えようとする。
小野田秋子
…吉之助と民子の娘。
柴山
…アメリカ帰りの撮影技師。腕は確か。
相沢
…不良少年。
 吉之助に俳優として雇われる。
グラントレン
…混血の美少女。
 吉之助に俳優として雇われる。

本作品の味わいどころ①
痴人ナオミと同じ匂いのグラントレン

本作品の発表は1923年。
その翌年1924年には
あの「痴人の愛」が発表されています。
本作品の美少女グラントレンは、
ナオミと雰囲気が似ています。
グラントレン17,8歳、混血児。
ナオミ15歳、
日本人ですが混血児のような容貌、
男ははじめ、
手なずけられると思うものの、
次第に立場が逆転、
ついには支配されるに至るという点で、
共通しているのです。
もちろんその過程は本作品と
「痴人の愛」では相当に異なります。
しかし美少女二人からは、
男を手玉に取り、
男を破滅させてしまう、
同じ匂いが漂うのです。
「痴人の愛」は明らかに
本作品の延長線上に存在しています。
本作品の味わいどころの一つめは、
このグラントレンと
それに傅こうとする
吉之助の痴態なのでしょう。

本作品の味わいどころ②
民子とグラントレン、どちらが理想的

谷崎の創り上げた主人公・
小野田吉之助は、やはり谷崎自身が
色濃く投影されています。
したがって女性に対する理想は
非常に高いものがあります。
「純白の皮膚を持った、
 金色の髪をちぢらせた、
 聖母のような気高い瞳を持った
 荘厳な顔」
なのですから、
当然日本人女性では不可能なのです。

親に勧められるままに
民子を嫁に迎えた吉之助は、
しかし一緒に暮らしているうちに民子を
心の底から愛するようになります。
そこに現れたのが
理想像に限りなく近い容貌を持った
グラントレンだったのです。
何か起きないはずがありません。
やはり導かれるように
吉之助はグラントレンに
溺れていってしまいます。

それで終わるのかと思えば、
最後は再び民子が
クローズアップされるのです。
しかし吉之助は…。
それにしても谷崎自身は、
民子とグラントレン、
どちらをより理想的な女性と
考えていたのか?
興味は尽きません。

本作品の味わいどころ②
吉之助と柴山、激しく食い違う映画観

撮影所の所長である吉之助が、
ワガママ女優グラントレンと
抜き差しならぬ関係に
陥っているのですから、
そこでできた映画が
まともなものであるはずがありません。
彼女を主役とした第一作目は
どこもフィルムを買い取らず、ボツ。
第二作も、
途中で彼女がつむじを曲げて
撮影が行き詰まります。
そこで柴山は起死回生の
妙手を放つのですが…。
この筋書きは絶妙です。
ぜひ読んで確かめていただきたいと
思います。

この、あくまでも自身の理想を
映画に反映させようとする吉之助と、
現実を見極めた上で
革新的な映画を創ろうとする柴山、
両者の対比も味わいどころでしょう。
吉之助は一点も譲らずに転落し、
柴山は吉之助との折り合いをつける形で
第二作を完成させ、
撮影所の危機を救うのです。

本作品の小野田吉之助にせよ、
「痴人」の河合譲治にせよ、
谷崎作品にしばしば登場する
「美女に傅く男」は、
みな破滅に向かいます。
かつて「痴人」を読んだ際には、
譲治の姿に嫌悪感しか
覚えなかったのですが、
年齢を重ねてくると、
すべてを捧げて悔いのない理想の女性
(この場合は容姿として)に出会えた
男の姿に、共感はできないまでも
同情の余地は生じてきました。

「痴人」の河合譲治の原型ともいえる
「傅く男」吉之助、
谷崎自身が憧れた
映画制作を素材とした筋書き、
谷崎が短い期間過ごした
横浜を中心とした舞台設定、
限られた登場人物で
きめ細かく編み上げた人間模様、
味わいどころに事欠かない
素敵な作品です。
これ一篇でやや薄めの文庫本として
十分出版できるのですが、
こうして小品と抱き合わせて
アンソロジーの形になっているためか、
谷崎作品の中でも知名度が
今ひとつであるのが惜しまれます。
ぜひご賞味ください。

〔「潤一郎ラビリンスXV」〕
肉塊
港の人々

小田原から引き移って来た
私の家族が、
最初に住んだ家は
本牧の海岸にあって、
他の家よりも一層
海につき出ている
木造の二階だての西洋館だった。
東向きのヴェランダの
直ぐ下には、
コンクリートの崖の裾まで
青い波が寄せていて…。
「港の人々」

※「港の人々」は横浜での生活を
 回想した随筆。

(2023.4.6)

Anant SharmaによるPixabayからの画像

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