「美食倶楽部」(谷崎潤一郎)

読み手は否応なしに、谷崎に弄ばれる

「美食倶楽部」(谷崎潤一郎)
(「潤一郎ラビリンスⅦ」)中公文庫

「潤一郎ラビリンスⅦ」中公文庫

きっと今迄誰かが
阿片を吸っていたのでしょう。
御覧なさい。
ここに小さな穴があります。
ここから覗くと宴会の模様が
残らず分かります。
此の部屋に這入って来たものは、
ここからあの様子を眺め、
うとうとと
阿片の眠りに浸る…。

妖しげな小説を書く
谷崎潤一郎の作品の中でも、
群を抜いて妖しい作品がこの
「美食倶楽部」です。
表題から受け取るイメージとしては、
グルマンたちの食リポか
天才料理人の物語かと思うのですが、
そのような
生易しいものではありません。

筋書きとしては至って簡単です。
美食倶楽部の会員たちは食通が過ぎて、
既存の味に満足できず、
新しい美味を探していた。
その主宰者G伯爵がある晩、
胡弓の音色に
誘われるままに足を運ぶと、
そこにはえも言われぬ
香ばしい支那料理の匂いのする
「浙江会館」へとたどり着く。
伯爵は宴会への参加は断られたものの、
隠し部屋の覗き穴からの
見学を許される。
その後、美食倶楽部では、
G伯爵の振る舞う不思議な支那料理が
会員たちを魅了する。
と、こうした具合です。

このように書き出すと、
どこが面白いのか
さっぱり分からないと思います。
しかし、最後の場面に至るまでの間に、
読み手は谷崎の策略に見事にはまり、
官能の世界へと導かれているという、
とんでもない作品なのです。

今日のオススメ!

本作品の味わいどころ①
視点の変化で読み手を幻惑させる

なぜそうなるのか?
仕掛けがあります。
本作品は視点が変化していくのです。
一から二八まである章のうち、
一から三までは、美食倶楽部を
やや突き放した視点から描き、
「彼等」と表現しています。
ここで谷崎は読み手に
「美食倶楽部」なるものの性質を、
丁寧に説明し、
読み手の理解を促進させているのです。

続く四から二三までは、
G伯爵に視点が移され、
彼の特異な体験が綴られていきます。
単なる料理店ではない、
秘密結社のような「浙江会館」、
会長に厳しく統制されている組織、
素材や調理法を超えた
芸術的料理の数々、
そして何よりも、G伯爵は
それを自ら食したのではなく、
覗き穴から見学しただけという異様性、
それらが相まって、
伯爵の体験は強烈に
読み手にすり込まれていくのです。

さらに二四から二八までは、
会員の一人Aなる人物に
視点が移ります。
ここに至るまでの間に、
読み手は谷崎によって洗脳され、
会員Aが伯爵の料理の魔法の
術中にはまったように、
読み手は谷崎の意のままに
操られるようになってしまうのです。
この視点の変化によって
読み手を幻惑させる手法に、
しっかりとはまりきることこそ、
本作品を味わう第一歩なのです。

本作品の味わいどころ②
読み手を作中人物に同化させる

そうしてAに同化させられた読み手は、
不意に明かりを消された室内の中で、
Aとともに「味わう」のです。何を?
Aの前に現れたのは、女性です。

「Aの額には
 優しい女の前髪が触れる。
 Aの襟元には
 暖かい女の息がかかる」
「Aの両頬は、女の冷たい、
 しかし柔かい掌に依って、
 二三遍薄気味悪く
 上下へ撫で廻される」
「口の両端へ指をあてて、
 口中の唾液を少しずつ外へ誘い」
「何度も何度もぬるぬると
 唇の閉じ目を擦る」
「女の指先は、突如として
 彼の口腔内へ挿し込まれる」

さらには
「Aはしきりに舌を動かして
 其の味を舐めすすって見る」
「Aはどうしても其れが
 女の指の股から
 生じつつあるのだと云う事実を、
 認めざるを得ない」
「Aは一層味覚神経を舌端に集めて、
 ますます指の周りを
 執拗に撫でて見たり
 しゃぶって見たりする」
「恰も舌の動くように
 口腔の中で動き始める」

以上が
「火腿白菜(かたいはくさい)」なる料理の
食し方を含めた全貌となるのです。
いやはや、読み手は否応なしに、
谷崎に弄ばれることになるのです。

本作品の味わいどころ③
読み手を官能の世界へと誘う

こうして気づけば官能の世界へと
見事に導かれてしまったのですが、
読み返すと、
至るところにその仕掛けが
施されていることに気づきます。
冒頭には
「美食倶楽部の会員たちが
 美食を好むことは彼等が
 色を好むのにも譲らなかった」

とあります。
G伯爵が訪れた「浙江会館」も、
秘密結社どころか高級娼婦館のような
印象が漂っています。
しかも伯爵が案内された
秘密の覗き部屋の存在など、
どう考えても
料理だけを供する場所とは思えません。
伯爵が会員に振る舞った
第一の料理「火腿白菜」に続く第二弾は
「高麗女肉」。
その説明は一切ありませんが、
「火腿白菜」でこれなら、
「高麗女肉」はいったい…。
そう考えること自体、
谷崎に操られている証明です。

なんと、
読み手の食欲を満たす作品かと思えば、
実は性欲をくすぐる作品なのでした。
こんな小説を書いて許されるのは
大谷崎以外には
川端康成がいるくらいでしょう。
本作品は大正8年、大阪朝日新聞に
掲載された作品とのことです。
おおらかな時代だったのでしょう。

〔「潤一郎ラビリンスⅦ」〕
病蓐の幻想
白晝鬼語
人間が猿になった話
魚の李太白
美食倶楽部

〔「美食倶楽部」収録の本〕
本書以外にも、
以下のように収録があります。

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集英社
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〔言葉遊びでエロスを語る〕
本作品のように、言葉遊びで
エロスを語った作品としては、
川端康成「片腕」、
現代の作家では
高樹のぶ子「トモスイ」
江國香織「バタフライ和文タイプ事務所」
川上弘美「さやさや」
などが見つかります。

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〔関連記事:潤一郎ラビリンス〕

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efesによるPixabayからの画像

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