「新月」(木々高太郎)

人間の深層心理の複雑さを描いた作品か?

「新月」(木々高太郎)
(「百年文庫029 湖」)ポプラ社

「百年文庫029 湖」ポプラ社

細田氏の言うたことが、
少しも判らなかった。それは、
一種の殺人の告白である。
細田氏のように、
人生を活きて来た人には
私の判らぬ何かがある。
私の年齢が細田氏と
同じくらいになって
判るのかも知れない
―そう考えたのである…。

ミステリ作家・木々高太郎の一作です。
いつもは冒頭に粗筋を記すのですが、
今回は本文中の一節を
抜き書きしました。
理解に努力を要する作品であり、
どこが本作品の重要部分なのか、
判断に迷ったからです。
そもそも、
主人公の弁護士「私」でさえも、
上記のように事件の本質を
理解できていないのですから、
なおさらです。
分からないながらに、
まずは登場人物から見てみます。

〔主要登場人物〕
細田斐子(旧姓早川)
…湖で不慮の死を遂げる。
 心臓弁膜症。
 二十二歳で実業家に嫁ぐ。
(早川)「父親」(早川)「兄」
…嫁いだ娘・斐子の死を殺人と考え、
 五万円の慰謝料の訴訟を
 「私」に持ち掛ける。
細田圭之助
…実業家で金満家。
 五十三歳で斐子と再婚する。
物集達男
…斐子と交際のあった青年。
 事故当時、湖周辺にいた。
岡崎弁護士
…細田圭之助の顧問弁護士。
「私」
…弁護士。
 早川父子から慰謝料の相談を受ける。

最初に押さえておきたいのは、
犯人捜しやトリックを見破るような
ミステリではないということです。
基本的には斐子の死は事故なのです。
ただし、細田氏の道義的な責任という
意味なのでしょう、
示談金一万円をもって
弁護士たちが事態を収拾します。
では、ミステリの部分はどこか?
その後、細田氏は「私が斐子を
殺したのではないか」と考え、
早川氏側の要求した分の
残り四万円を「私」に託すのです。
なぜ細田氏は事故で決着した妻の死を、
「自分が殺した」と考えたか?
それこそが本作品のミステリたる
肝にあたるのです。
本作品の構成を確認しておきます。
本作品は短篇ながら、
6章構成となっているのです。

〔本作品の構成〕
1 「斐子の結婚」
 (「私」に持ち込まれた訴訟、
  斐子が細田氏と結婚した経緯と
  早川家の経済状況、
  恋人・物集の存在)
2 「湖上の死」
 (当時の事故の状況、
  「私」が早川氏から聞いた「証拠」)
3 「調査」
 (岡崎弁護士の協議、
  物集への尋問、
  殺人ではないことの立証)
4 「事件の解決」
 (一万円の示談金による解決、
  細田氏からの四万円提供の申し出、
  その五年後の細田氏死去の際の
  長男からの情報提示)
5 「夢の小品」(細田氏が著した小説)
6 「心理の解決」(「私」の得心)

細川氏から罪の告白を聞いて
「少しも判らなかった」「私」ですが
(「4」の場面)、
細田氏の作品(「5」)を読んで、
その意味を「理解した」のですから、
「5 夢の小品」にこそ、
その鍵が示されているはずです。
はずですが…、分かりません。

「5」は、自らをモデルとした「A」と、
斐子であるはずの
「妻」が描かれています。
「A」は「妻」と映画を見に行く、
「妻」は前の方の席に座っている
「少年」に気をとられている、
映画が終わって「少年」が振り返ると、
その顔は少年時代の「A」の顔だった、
しかしそれは「夢」だった。
それが前半です。
そして後半は、
「A」の死んだ長女の乳母だった女性が
訪問し、
彼女の長男が戦死したことを知る、
彼女は「安心した」という、
同じような気持ちを感じたのが
「A」の長女の死に際したときだった
ことを告げる、というものです。

無理に考えるとすれば、
次のようになるでしょうか。
細田氏は若い妻・斐子を
心底愛していた。
愛が深いゆえ、
斐子のことがとても心配だった。
斐子が死んだことによって、
自分はもう心配をする必要のない
「安心感」を得ることができた。
だからそれは
自分が妻を殺したことに等しい。

「4 事件の解決」後の「6」の表題として
「心理の解決」という文言が
与えられていることからも、
人間の深層心理の複雑さを描いた
作品ではないかと考えられるのです。
しかし全く確証がありません。

分からなくていいのです。
時間を掛けてじっくり
「謎」を解き明かしていきましょう。
それこそが
高尚なミステリの在り方です。

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〔「百年文庫029 湖」収録作品〕
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白孔雀のいるホテル 小沼丹

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(2023.8.29)

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