「門」(夏目漱石)

ここにドラマなど必要ない

「門」(夏目漱石)新潮文庫

同じ六年の歳月を挙げて、
互の胸を掘り出した。
彼らの命は、いつの間にか
互の底にまで喰い入った。
二人は世間から見れば
依然として二人であった。
けれども互から云えば、
道義上切り離す事のできない
一つの有機体になった。…。

粗筋代わりに
私の好きな一節を抜粋しました。
夏目漱石の「門」です。
何度読んでも第十四章のこの一節に
胸を打たれます。
前半部では、優柔不断な宗助と
それをあまり問題にしない御米の、
高望みをしない、しかし形の見えない
「影」を背負った夫婦の姿が、
冗長と思えるくらいに
淡々と描かれていきます。
しかしこの第十四章で、
二人の抱えている「影」の実態が
読み手の前に明かされるのです。

【主要登場人物】
野中宗助
…崖の下にある家にひっそりと暮らす。
 親友から妻を奪ったことに
 後ろめたさを感じている。神経衰弱。
御米
…宗助の妻。かつては安井の内縁の妻。
佐伯
…宗助の伯父(一家)。宗助の父の遺産を
 かすめ取った可能性あり。
小六…宗助の弟。大学在学中。
安井…宗助の元友人。姿を消す。
坂井…宗助の住む借家の屋主。

ご存じのことと思いますが、本作品は
「三四郎」「それから」に続く
三部作の三作目にあたります。
「三四郎」で美禰子を
手に入れることのできなかった
三四郎の思いが、
「それから」の代助に引き継がれ、
そして、三千代を平岡から
奪うこととなった代助の人物像が、
本作品の宗助へと転化しているのです。
それでありながら本作品は、
「それから」のような
筋書きの上での盛り上がりに乏しい、
しかも結末はどことなく
中途半端にも感じられる、
消化不良を疑わせる
出来映えとなっています。
ネット上の書評を見ると、
そうした作品構造を欠点とする見方も
多いようです。
しかし私は本作品に愛着を感じます。

ここにドラマなど
必要ないと思うからです。
「ああ動く。世の中が動く」と
代助に呟かせて、
明るい未来が開けてくるような結末を
与えられた「それから」に対し、
作者・漱石は、
「略奪婚の先には
そうした未来は訪れない」ことを
示そうとしたのではないでしょうか。
そのためには、
代助が抱いている希望は、
主人公を襲う大きな不運に
破壊されるべきものではなく、
どうあがいてもそこにしか
たどり着かない「不幸な結末」である
必要があったのでしょう。

そして「不幸な結末」は、必ずしも
二人に破綻が訪れたりする必要がなく、
「道義上切り離す事のできない
一つの有機体になった」二人の心に、
微妙な食い違いが生じるだけで
十分なのです。
「本当にありがたいわね。
 ようやくの事春になって」
と、
晴れ晴れとした気持ちの御米に対し、
「うん、しかしまたじき冬になるよ」
答えた宗助の感覚のずれは、
この二人にとって十分な
悲劇的結末といえると思うのです。

本作品が朝日新聞に掲載されたのは
1910年3月から6月までです。
そのときすでに
胃潰瘍を患っていた漱石は、
本作品を書き終えたわずか2ヶ月後、
大喀血をし、生死の境を彷徨います
(修善寺の大患)。
その後、漱石の作風は大きく変化し、
本作品「門」は、そのディテールが
さらに深く彫り進められ、
「こころ」へと昇華していきます。

〔漱石・前期三部作について〕
よく知られているように、
「三四郎」「それから」「門」は
前期三部作という
一つのくくりで語られています。
自分の気持ちを表明できずに
他人に奪われてしまった
「三四郎」

他人から愛する女性を奪って妻にした
「それから」

他人から奪った妻とともに落ちた
苦しみを描く「門」、と
漱石は男女の在り方について
シミュレーションでもしたかのような
主題設定を展開しています。

その延長線上にあるのが
「こころ」なのでしょう。

今日のオススメ!

漱石が現代でも読み継がれているのは
こうした普遍的な「問い」を
主題にしているからなのでしょう。

(2022.8.29)

ekremによるPixabayからの画像

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