「こころ」(夏目漱石)②

大人にならないと理解できない「両親の言葉」

「こころ」(夏目漱石)新潮文庫

「こころ」新潮文庫

父親の病状が悪化したため、
「私」は東京へ戻るのを延期する。
実家に親類が集まり、
容態がいよいよ
危なくなったとき、
「先生」からの分厚い手紙が届く。
その手紙が「先生」の「遺書」だと
気づいた「私」は、
東京行きの汽車に飛び乗る…。

前回、夏目漱石の「こころ」は、
「上・先生と私」こそが
最も重要な部分であると
私見を書きました。
もちろん、
この作品に重要でない部分など
一行たりともありません。
今回取り上げる「中・両親と私」もまた
重要な部分であることは
いうまでもなく、
「本作品の要(かなめ)の部分」と
位置付けられます。

世の中には、
大人にならないと解らないこと、
歳を重ねないと理解できないことが
たくさんあります。
私も若い時分には、そのこと自体が
認識できていませんでした。

だから、はじめて読んだ
中学生のときだけでなく、
大学生になって再読した際も、
この「中」の存在意義を
正しく受け止めることが
できませんでした。

今なら解ります。
「私」の父親の話す言葉の
一つ一つがよく解るのです。

「おれの様な人間だって、
 月給こそ貰っちゃいないが、
 これでも
 遊んでばかりいるんじゃない」

そうなのです。
傍目には立派に
見えないかも知れませんが、
世の中の父親たちは
地道に一生懸命働いているのです。
子どもたちや若い世代から見れば
格好悪いかも知れませんが、
誇りを持って生きているのです。

「子供に学問をさせるのも、
 好し悪しだね。
 折角修行をさせると、
 その子供は決して
 宅(うち)へ帰って来ない。
 これじゃ手もなく
 親子を隔離するために
 学問させるようなものだ」

父親のこのような台詞を、
若い頃なら「せせこましい」と
蔑んだことでしょう。
でも、
今ならとてもよく理解できるのです。

これが現実なのです。
若い世代の理想と、
年配者の現実は、
得てして衝突します。
漱石は「中」で「私」を、
思い切り現実の世界へ
引き戻したのです。
現実は次から次へと「私」を襲います。

「私」はなぜ、
先生のもとへと向かったのか。
衝動的な行動なのか。
そうではありますまい。
若さ故、現実より理想を
優先させたととるべきでしょう。
「私」の心はこのときすでに
「先生」の存在で占められ、
父親の存在が
とても軽くなってしまっています。
現実に生きた父親の死を
看取ることを放棄した「私」。
理想ととらえていた
「先生」のもとへと急いだ「私」。
でもその先にあるのは
「先生の死」という、
やはり重い現実があるだけなのです。
この、わずか50数頁の「中」は、
まさに「理想」と「現実」を
繋ぐ要なのです。

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今日のオススメ!

「下・先生と遺書」には
「上」「中」での話者「私」は登場しません。
「下」の話者「私」は「先生」です。
だから「下」だけを読んでも
その深い作品構造を
捉えきれないのです。
「こころ」はあくまでも
主人公である「上」「中」の「私」が
とらえた
「先生」の精神世界なのです。

前回も書きました。
高校時代に「下」を
読んだにもかかわらず、
全編を読み通していない大人のあなた。
「上」「中」から読んで、
漱石の深遠なる「こころ」の世界に
到達してみませんか。

(2018.8.3)

Free-PhotosによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「こころ」(夏目漱石)

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