「饒太郎」(谷崎潤一郎)

つまり、マゾヒストのお話なのです

「饒太郎」(谷崎潤一郎)
(「潤一郎ラビリンスⅡ」)中公文庫

「潤一郎ラビリンスⅡ」中公文庫

即ち、彼は
自分の恋慕して居る女から
同じように恋慕され
敬愛される事を
忌み嫌うのである。
饒太郎の恋と云うものは、
男女相愛の関係から
発生するのではなく、
男は女を愛し敬い、
女は男を虐げ卑しめる時に
生ずるのであった。…。

つまり、マゾヒストのお話なのです。
残虐な仕打ちから
喜びを感じるという感覚を、
私は全く理解できませんが、
「マゾヒスト」なる言葉があり、
それを素材とした文学作品も
本作品以外にいくつもあるのですから、
そうした性的嗜好の持ち主が実際には
一定数いるということなのでしょう。
谷崎文学を構成する要素の一つでもある
「マゾヒスト」に関わる作品を集めた
本書の、第一篇が本作品「饒太郎」です。
味わいどころは、
登場する三人の女性に対する
饒太郎の姿勢といった
ところでしょうか。

〔主要登場人物〕
泉饒太郎
…27歳の作家。作品もろくに書かずに
 放蕩している。マゾヒスト。
松村
…女性を斡旋する店を経営している。
 饒太郎の弱みを握っているらしい。
蘭子
…饒太郎と関係している女性。
 饒太郎に請われるまま
 サディスティックに
 振る舞っているが、根は貞淑。
お玉(お縫)
…饒太郎が新しく関係した女性。
 若く盗癖があり、悪女的性格。
庄司
…饒太郎を慕う学生。
 お玉がかつて奉公していた家の息子。

今日のオススメ!

本作品の味わいどころ①
蘭子への情愛が薄れた饒太郎

一人目は蘭子です。
同じ穴の狢でもある松村と
夜の遊びに繰り出そうとしていた
饒太郎をめざとく見つけ、
ピストルを突き付けてまで
強引に連れ去る蘭子は、
かなり強烈なキャラクターとして
登場します。
貴婦人然としていて美人で
未亡人のお金持ち、
そのような女性から慕われるのなら、
文句などなさそうなものですが、
マゾヒストは違うのです。

冒頭に掲げた一節が
端的に表しているとおり、
彼は自身が虐げ卑しめられたときに
エクスタシーを感じるのです。
優しい女性が演技として暴力を
振るった程度では満足できないのです。
蘭子との関係から、
この饒太郎のマゾヒストならではの
理解しがたい思考に触れるのが、
本作品の第一の
味わいどころと考えます。

本作品の味わいどころ②
お玉に吸い尽くされた饒太郎

そこで目をつけたのが、手癖が悪く、
犯罪歴もある娘(なんと20歳前)の
お玉です。
饒太郎が睨んだとおり、
彼女は根っからの悪女であり、
饒太郎は十分に満足するのです。

しかし悪女は悪女です。
その関係が長く続くはずはありません。
金の切れ目が縁の切れ目。
饒太郎はすべてを吸い尽くされ、
捨てられるのです。
しかしそのこと自体を悔やむ様子は
まったく見られません。
彼はそれで本望だったのでしょう。
お玉とのやりとりの描写から、
この饒太郎のマゾヒスト特有の
偏った感情を読み取るのが、
本作品の第二の
味わいどころと考えます。

本作品の味わいどころ③
最後は母のもとへ帰る饒太郎

さて、まったくの無一文となり、
債権者から追い立てられる生活となり、
彼はどうしたか?
なんと母親のもとへと帰ったのです。
「饒太郎は体がふるえて、
 何だか脳髄が凍るような
 嬉しさを覚えた。
 突然彼は良心の襲撃に会って
 ぽたり、ぽたり、と
 涙をこぼし始めた」

母親との再会の場面から、
最後の最後にまともな人間の心を見せる
饒太郎の複雑な心理を
目の当たりにすることこそ、
本作品の最後の
味わいどころと考えます。

さて、このように最後に
母親(または母親らしき存在)が
登場する作品は、
「母を恋ふる記」「二人の稚児」
「ハッサン・カンの妖術」など
いくつか見つかります。
マゾヒストでありながらも、
最後に求めるのは甘えられる女性・
母親ということなのでしょうか。

それはともかく、日本において、
こうした特殊な性的嗜好を
純文学の分野で思う存分描いたのは、
谷崎潤一郎
ただ一人なのではないでしょうか。
単なる性的エンタメでもなく、
猟奇的エロチシズムでもなく、
人間の本質に迫った文学として、
本作品は高い文学性を持ちながら、
妖しい光を発し続けているのです。
谷崎でなければ描けない世界を、
じっくり味わってみませんか。

〔「潤一郎ラビリンスⅡ」〕
饒太郎
蘿洞先生
続蘿洞先生
赤い屋根
日本に於けるクリップン事件

〔関連記事:潤一郎ラビリンス〕

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