「探偵」(黒岩涙香)

これが明治の探偵小説なのです。

「探偵」(黒岩涙香)
(「黒岩涙香探偵小説選Ⅰ」)論創社

「黒岩涙香探偵小説選Ⅰ」論創社

米国オリアン州の
警察署内探偵詰所の上座に扣え、
余念もなく書類を
取り調べ居る老官吏は
言わでも著き探偵長ならん。
この所へ入り来る一人の探偵は
栗色と綽名されたる男にて
遽しく探偵長に向かい、
「長官今度の事件は是非私に…。

粗筋を書こうと思いつつ、
あまりにも筋があちこちに散乱し、
収拾がつかなくなっている本作品、
冒頭部分を抜き書きして代替しました。
古文調の文体が示すとおり、
本作品は明治22~23年頃に発表された、
日本最古の探偵小説の一篇なのです。
作者は黒岩涙香、といっても
創作ではなく、翻案と考えられます。
それも原書が何か、
いまだに判別していない作品です。

はじめにことわっておくのですが、
本作品を昭和期から現代までの
ミステリと同列に扱ってはいけません。
設定はめちゃくちゃであり、
展開も非現実的、
ご都合主義的なところも見られ、
ミステリ以前に小説として
成り立っていないのではないかと
思われる点が多々あるのです。
いわゆる「突っ込みどころ満載」
状態なのです。
仕方ありません。
明治20年代の、探偵小説はおろか、
エンターテインメントとは何か、
誰もはっきりわからなかった時代に、
手探りのままに書き上げた
作品なのです。
その「突っ込みどころ」を、
明治20年代の読者になりきって
肯定的に愉しむべき作品なのです。

〔主要登場人物〕
水嶋浮
(みずしまうかぶ)
…探偵。
 中井銀行の金子盗難事件を捜査する。
中井金蔵
…中井銀行頭取。客から預かった
 五円が盗難に遭ったと届け出る。
黒田真一
…船乗りの男。
 中井金藏に五円を預け、立ち去る。
 その後、中井家において
 不審な振る舞いをする。
小谷常吉
…中井銀行の会計長。
 五円盗難事件について自首する。
中井松子
…金蔵の姪。中井家で養われている。
 小谷常吉と婚約している。
梅子
…中井家の隣に住む娘。松子の友人。
 松子救出に一役買う。
中井金太郎
…金蔵の息子。
 松子に対して無理矢理結婚を迫る。
中井桃子
…金蔵の娘。
 小谷常吉に好意を持っている。
気違病院長
…気違病院の悪徳院長。
 松子を幽閉し、殺害を目論む。
サツマ
…川蒸気サツマ号船長。
探偵長
…水嶋の上司の探偵長。
栗色
…うだつの上がらない探偵。
 同僚・水嶋の活躍を妬む
角岡育平
…名うての弁護士。
 常吉に弁護を申し出る。

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本作品の味わいどころ①
もしや迷探偵?水嶋浮の度重なる失敗

読み進めて驚くのは、
探偵である水嶋浮のふがいなさです。
何度も敵の罠にはまり、
命を落としそうになるのです。
後の明智小五郎や金田一耕助には
遠く及びません。
その捜査も、きわめてずさんです。
水嶋の迷探偵ぶりを書き上げると
以下のようになります。
①中井家の秘密を探るため
 令状なしの不法侵入を企てる
②待ち受けていた敵に銃で狙撃され、
 あえなく落命
③実は死んだふりをしていた
 だけだったというお粗末設定
④潜入したものの
 押し入れに閉じ込められる
⑤敵に銃で脅され、隣家に逃げ延び、
 娘に匿われる
⑥偽手紙によって誘き出される
⑦罠にはまり意識不明
⑧敵と警察署内で対峙するが
 決め手がなく見逃す
最終的に事件を解決させるのですが、
犯人二人の身柄確保に失敗、
一人は逃走直後に捕縛されたものの、
もう一人は二年間の逃亡を
許してしまうなど、
もはや手柄などとはいえない状態です。

でも、これでいいのです。
この主人公の
ハラハラドキドキの冒険に、
明治の読者は
興奮したに違いありません。
有能なだけが
探偵の資質ではありません。
これが明治の探偵小説なのです。

本作品の味わいどころ②
犯人捜しに非ず、悪人は最初から判明

「探偵」と題した探偵小説でありながら、
犯人捜しの作品ではありません。
水嶋は「犯人が絞り込めない」と
幾度も呟くのですが、
どう読んでも犯人は
最初からはっきりしています。
警察が組織的な捜査を行えば
簡単に解決する事件なのですが、
なぜか探偵長から事件解決を命ぜられた
水嶋の単独捜査に終始しているのです。
作品の舞台である
19世紀末のアメリカで、
組織的捜査が行われず、
警察署勤務の各探偵一人一人に、
個別に捜査が割り当てられている
などといったことはないはずです。
現場の捜査もなく、物的証拠もなく、
盗まれた現金が
見つかることもないままに、
自白のみをもって
裁判で有罪が確定するなど、
いくら19世紀末でも
あり得ないでしょう。

でも、これでいいのです。
悪役が意のままに振るまい、
捜査機構が無力であるという
理不尽な状況に、
明治の読み手は
手に汗を握ったに違いありません。
これが明治の探偵小説なのです。

本作品の味わいどころ③
見通しの悪い事件の様相、悪事が交錯

で、終わってみれば、
一組の悪人が起こした事件ではなく、
複数の犯罪が混在しているという
なんともいえない設定であることが
明らかになるのです。
本作品に関わっている犯罪を
次に記します。
①夢遊病による無意識の盗難
②盗難事件に便乗しての
 恋愛相手の略奪計画
③なりすましと拉致監禁
④金銭目的の不法監禁および殺人未遂
⑤手柄横取りのための捜査妨害
なんと五組の悪人たちがそれぞれ
自分の目的のために悪事を働き、
その集合体が
一つの事件となっているという、
ミステリにおいては反則技に近い設定。
これでは読み手が
謎を解けるはずがありません。

でも、これでいいのです。
無理な設定であっても、
次から次へとめまぐるしく
展開している筋書きに、
明治の読み手は爽快感を
十分に味わったに違いありません。
これが明治の探偵小説なのです。

さて、作者・黒岩涙香は、
自ら創作した作品よりも
海外作品の翻案が多いとされています。
翻訳ではなく「翻案」である理由は、
一語一句
正確に訳してはいないためです。
それどころか、原文を一読し、
その記憶を頼りに
自由奔放に作品を書き上げていった
形跡すらあるのです。
翻訳・翻案という枠を越えて、
もはや「パクリ」ではないかと思われる
黒岩創作術。
でも、これでいいのです。
これが明治の探偵小説なのです。

〔「黒岩涙香探偵小説選Ⅰ」〕
無惨
涙香集
 涙香集序
 金剛石の指輪
 恐ろしき五分間
 婚姻
 紳士三人
 電気
 生命保険
 探偵
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