彼女がこれほどまでに働き続けた理由は何か?
「素朴なひと」
(フローベール/谷口亜沙子訳)
(「三つの物語」)光文社古典新訳文庫
無学の貧しい娘フェリシテは
恋人テオドールに裏切られるが、
オーバン夫人に雇われ、
召使いとして献身的に仕える。
夫人の二人の子どもの
ポールとヴィルジニーを
心を込めて世話をし、
甥のヴィクトールに
母親のような愛情を注ぐ…。
「ホヴァリー夫人」「感情教育」で有名な
フローベールの中篇作品で、
「三つの物語」と題された作品集の
第一作にあたるものです。
召使いのフェリシテの生涯が
描かれているのですが、
ドラマティックな展開は
ここにはありません。
フェリシテの純粋な心が、
冒頭から結末まで
綴られていくだけなのです。
〔主要登場人物〕
フェリシテ
…幼くして一家離散。
無学のまま召使いとして働き始める。
オーバン夫人
…十八歳のフェリシテを雇い入れ、
五十年間雇い続ける。
ポール
…オーバン夫人の息子。
素行が悪かったが、
三十六歳で登記所職員となる。
ヴィルジニー
…オーバン夫人の娘。病死する。
ヴィクトール
…フェリシテの甥。成人し、
船乗りとなる。航海中に病死。
ルル
…フェリシテの愛した鸚鵡。
テオドール
…フェリシテと恋愛に陥るが、
兵役逃れのために老女と結婚する。
ルウセー夫人
…テオドールと結婚した女性。
ブーレ
…オーバン夫人邸に出入りする代訴人。
「半世紀にわたって、
ポン=レヴェックの町の
奥さまがたは、
オーバン夫人を羨んだ。
召使いのフェリシテが
いたからである。」
から始まる冒頭には、
安い賃金にもかかわらず、
献身的に働き続けた
フェリシテの様子が綴られています。
そしてそれが
全篇にわたって続くのです。
オーバン夫人がそれに見合うだけの
優しさでもって報いたわけでもなく、
その土地に離れがたい
何かがあったわけでもなく、
あたかもそれが自分に与えられた
使命ででもあるかのように、
ただただ忠実に働き続けたのです。
感慨深い味わいを持つ作品です。
しかしふと考えてしまいます。
読み手はそこから
何を読み取るべきかと。
彼女がこれほどまでに身を粉にして
働き続けることができた理由は何か?
彼女の人柄といってしまえば
それまでですが、ではその「人柄」は
何によって培われたものなのか?
恐らくは「無学」もしくは「無知」という
ことなのではないかと思うのです。
「そこで働くのが当たり前」であり、
そこに疑問など
持っていないのでしょう。
疑いを持ちさえしなければ、
人は召使いであっても
幸せに一生を終えることができる。
それはある意味では
幸せといえるのでしょうが、
人間としての幸福とは
そのようなものなのだろうかと、
またしても考えてしまいます。
そこまで考えて、ふと思いました。
このフェリシテは、
オーバン夫人にではなく、
「神」に仕えていたのではないかと。
信仰の姿とは、
このようなものではないのかと。
本作品は、フェリシテの何気ない、
素朴な一生を描きながら、
無学な彼女が
少しずつ信仰に近づいていき、
信仰そのものになった姿を
描いたものではないかと。
劇的な体験を通して
信仰に目覚める物語は、
探せばいくつも見つかるでしょう。
しかし、そうした展開をあえて創らず、
少しずつ神に近づき、
神を信じる意味を
誰から教えられるでもなく身につけ、
最後には神の祝福に包まれて
一生を終える。
その過程こそ、本作品の肝であり、
味わいどころであると考えます。
文体の力だけから
作品を生み出すと言われる
フローベール独特の巧みな描写術もまた
本作品の味わいどころの
一つとなっているのですが、
それはまた別の機会に
記したいと思います。
まずはこの「素朴なひと」
フェリシテの生き方をご賞味ください。
(2024.2.12)
〔表題の邦訳について〕
本作品の表題の邦訳については
「純な心」とされている例が
多いのですが、訳者はあえて
「素朴なひと」としたとのことです。
作品に描かれている「心」と「ひと」の
どちらに重点を置いて読み味わうか、
いろいろな考え方があるでしょう。
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