「失脚/巫女の死 デュレンマット傑作選」(デュレンマット)

常習性、いや中毒性すら持っている厄介な傑作群

「失脚/巫女の死」
(デュレンマット/増本浩子訳)
 光文社古典新訳文庫

「失脚/巫女の死」光文社古典新訳文庫

デュレンマットは
一九二一年生まれの
スイスの作家です。主に
劇作家として大活躍しました。
特に五〇年代から
六〇年代にかけて発表した喜劇が
一世を風靡して、
世界各地の舞台で
上演されました。
そのテーマ設定の
普遍性ゆえに…。
「はじめに」

日本で知られていない作家の
作品の中にも、
まだまだ面白いものがたくさんある。
そう実感させてくれる
デュレンマットの一冊です。
4篇が収められていますが、
そのどれもが大きな衝撃をもって
読み手を襲います。

今日のオススメ!

〔「失脚/巫女の死」〕
 はじめに
トンネル
失脚
故障
巫女の死
 解説/年譜/訳者あとがき

「二十四歳の男」は、
いつもの列車に乗り込んだ。
しかし列車が
いつものように入った
トンネルが、
いつもと比べて異常に長いことに
彼は気づく。
だがそれを訴えても
誰も相手にしない。
彼は車掌長とともに
運転席へと侵入するが…。
「トンネル」

第一作「トンネル」は
SFのような作品です。
異変を感じた車掌長と「男」が
運転席にたどり着くと、
運転手は行方不明、
過去に最高時速105キロしか
出していない列車の速度は
すでに150キロに達し、
どこかに向けて「下降」していることが
明らかになるのです。
神経質もしくは精神異常の男の物語かと
思っているうちに、
筋書きはいきなり緊迫度を増し、
シュールな世界へと
すでに飛び込んでいたのです。
「まだ何も変わったところは
 ないような気がしたのに、
 そのときは本当はもう、
 僕たちは深みへと落ちていく
 穴の中に
 入り込んでしまっていたんだ」

とある国家の政治局員会議。
Nに続いて、参加者が
次々に集まってくる。
だが、彼らの様子はいつもとは
違うようにNには見えた。
頭をよぎるのはOの失脚の情報。
この国において
失脚は「死」を意味する。
O欠席のまま、
会議は開始され…。
「失脚」

第二作「失脚」は政治ドラマとでも
いうべきでしょうか。
AからPの記号を付された人物たちの
会議(主人公に当たるのはN)が描かれ、
その前後で席次が入れ替わり、
誰かが権力をつかみ取り、
誰かが失脚するというものです。
会議前は以下の席次です。

それが会議終了後には
このように変化しているのです。

別にNが
何かをしたわけではありません。
最初に記されていたとおり、
Nは政治的には
まったく力がないのですから。
そこが権力争いゲームの
不思議なところでしょう。
どこかの島国でももしかしたら
そのようなゲームの結果、
トップが決まっているのだとしたら、
空恐ろしいことです。

営業中に車が故障した
トラープスは、
修理工場のある村に
泊まることにする。
屋敷の主人は快く彼の宿泊を
受け入れてくれたが、
その夕食には、
地元の友人たちも集っていた。
彼らはトラープスを含めて
「裁判ゲーム」をするという…。
「故障」

第三作「故障」はホラー的な雰囲気のまま
物語が進行しますが、
結末は悲劇とも喜劇ともつかない
不思議な味わいです。
描かれているのは
「裁判ゲーム」の顛末です。
ゲームであるにもかかわらず、
彼に再三「用心して」と
ささやきかける弁護士。
そして彼の行為を糾弾しながらも
「完璧な犯罪」と褒めそやす検事。
それを真に受けて
次第に気持ちが高揚していく
被告人(主人公)。
会話がまったく描かれず、
ゲームをただ傍観しているだけの存在の
死刑執行人。
少しずつ、しかし確実に、
罠にはまり落ちていく感覚が
読み手を襲います。

第4作「巫女の死」は、
歴史ファンタジーとなるのでしょうか。
デルフォイ神殿の巫女
パニュキスの前に現れた霊体、
メノイケウス、ライオス、
オイディプス、イオカステ、
テイレシアス、
スピンクス(とされる女性)が、
次々に「真実」を語っていくのです。
しかしそれらはみな食い違うのです。
まるで芥川龍之介「藪の中」です。
「真相」が語られるにつれ、
「真実」から遠ざかり、
いったい何が真実なのか
判然としなくなります。

老いによる死を自覚し、
その時を迎えようとしていた
巫女・パニュキス。
彼女の目の前に、
次々と霊体が姿を現し、
父を殺し母を妻とした
オイディプスについての
真実を語る。
彼女はかつてオイディプスの
運命を変えるような信託を…。
「巫女の死」

作者はこれらの作品を
単なるエンターテインメントとして
書いたのか、
それとも何かの
「寓話」として書き上げたのか、
一読しただけでは
まったく見えてきません。
また読みたくなるような常習性、
いや中毒性すら持っている、
なんとも厄介な作品であり作家です。
ぜひご賞味ください。

(2024.4.11)

〔作者デュレンマットについて〕
フリードリヒ・デュレンマット
(1921-1990)は、
スイス生まれの作家です。
グロテスクな誇張表現を用いて
現代社会の矛盾や行き詰まりを描いた
喜劇的作品によって、
その文学的地位を確立、
劇作家、推理作家、エッセイストとして
戦後に活躍しました
(ドイツ語で作品を書いているため、
本サイトでは「ドイツ語圏の文学」の
カテゴリーに入れています)。
日本では長らく
その名が知られていませんでしたが、
近年出版が相次いでいます。
本書のほか、
ハヤカワ・ミステリ文庫から「約束」が、
鳥影社から戯曲集が全三巻で
刊行されるなど、注目されています。

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