「動物」(武田泰淳)

人間の存在の根幹に深く思いを巡らせるべき

「動物」(武田泰淳)
(「百年文庫045 地」)ポプラ社

「百年文庫045 地」ポプラ社

ナラ、カシ、クワ、コクワ、
アケビ、ヤマブドウ、
木の実の類がほとんど全滅です。
食料欠乏に困り抜いた
動物たちは、危険を冒して
村落に侵入して来ます。
なかでも目立つのは、
何十年と見かけられなかった
熊の徘徊でありました…。

昨年2023年、私の住む秋田県では、
異常なほどに熊が出没しました。
警察に報告のあった目撃情報だけでも
3600件以上という
その数の多さだけでなく、
スーパーの駐車場や
学校のグラウンドといった、
本当に身近な場所に現れ始めたのが
衝撃的でした。
もちろんわが家の近くにも出没し、
警察が出動するなど
大騒ぎとなったこともありました。
上に記した熊の記述は、
今年の状況解説などではなく、
昭和29年に書かれた本作品の一節です。
現在と非常に酷似した状況が
現れているのです。

〔主要登場人物〕
南木

…P大学西洋史学教授。
 七歳になる息子が熊に指を噛まれる。
M
…実業家。私設動物園を開園。
 園の小熊が南木氏の息子の指を噛む。
西川
…P大学動物学教授。八歳になる娘が
 Mの飼い犬に襲われ
 怪我をしたことからMを憎む。

本作品の味わいどころ①
淡々と事実が記された文体

不思議な作品です。
熊の被害が描かれています。
冒頭には七歳の男の子が
熊に指を噛まれたという
事実が告げられ(その描写はない)、
後半には成長したその熊が
脱走したこと、
さらには熊二匹が町を徘徊し、
何人かの人間の命を奪ったことが
描かれています。
それらは淡々と記されていて、
ことさら恐怖をあおり立てるような
ものとはなっていません。
決してパニック小説などの
類いではないのです。
恐怖の対象としての「熊」ではなく、
あくまでも自然の一部としての「熊」が
描かれているのです。
まずはその独特の文体を
味わっていただきたいと思います。

本作品の味わいどころ②
南木・西川と「熊の存在」

主な登場人物は
上に記した三人だけですが、
名前を与えられていないMは
考慮に入れなくてもいいのでしょう。
南木と西川はP大学の同僚。
性格は対照的です。
南木は泰然とした性格であり、
順風満帆な生活を送っています。
ところが思いもかけない熊の出没は、
彼の自信を喪失させます。
「どんな人間をも利用できるはずの
知恵のはたらきが、どうしても
支配することのできぬ動物が、
この世には存在しているという不安」が
彼を襲うのです。

一方の西川は狭量で感情的であり、
家計も傾いているのです。
しかしMと南木への鬱屈した思いから、
彼は熊の出没を喜んでいるのです。
「お前はMや南木をおびやかす。
 奴らをおびやかしつづける。
 動物のおそろしさを、
 お前は奴らに、
 よッくよッく教えてやるのだ」

人間的には南木の方がはるかに
成熟しているのですが、
それとても動物の前では
「傲慢」に過ぎないのかとも
感じられます。
南木と西川、そして「熊の存在」、
それらの力学が炙り出すものを
じっくり味わいたいものです。

本作品の味わいどころ③
絶妙な結末の唐突感

物語は唐突に終わります。
何も解決せぬまま幕切れとなるのです。
しかし
読み手の思考は途切れるどころか、
人間とは何か、
人間と動物の関係はどうあるべきか、
ますます深く考えざるを
得なくなっていくのです。
人間もまた自然の一部であるという
厳然たる事実を突き付けられている
ことに気づかされるのです。
この絶妙な効果を生み出している
結末の唐突感を、
十分に堪能すべきです。

この武田泰淳という作家、
食人事件を扱った作品
「ひかりごけ」という作品で
知られています。
そちらも「極限状態において人間の肉を
食うことは悪かどうか」といった
単純な主題ではありませんでした。
本作品も同様に、
人間の存在の根幹に
深く思いを巡らせるべき主題を
内包しています。
ぜひご賞味ください。

(2024.4.9)

〔「百年文庫045 地」〕
羊飼イエーリ ヴェルガ
流されて キロガ
動物 武田泰淳

〔武田泰淳の本はいかがですか〕

〔百年文庫はいかがですか〕

created by Rinker
ポプラ社
¥1,404 (2024/05/17 21:51:59時点 Amazon調べ-詳細)
created by Rinker
ポプラ社
¥1,150 (2024/05/18 17:45:57時点 Amazon調べ-詳細)
created by Rinker
ポプラ社
¥2,062 (2024/05/18 17:45:58時点 Amazon調べ-詳細)
Robert BalogによるPixabayからの画像

【今日のさらにお薦め3作品】

【こんな本はいかがですか】

created by Rinker
¥2,090 (2024/05/18 17:45:58時点 Amazon調べ-詳細)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA