「別筵」(久米正雄)

ミステリならではの興奮が高まったところで…

「別筵」(久米正雄)
(「開化の殺人」)中公文庫

絹子は婚約者・信一を裏切り、
その親友である俊夫と
深い仲となっていた。
その信一は
上海へと転勤が決まり、
二人は喜ぶ。しかし、
信一の送別の晩餐の席で、
二人は自分たちの仲を
打ち明けるべきか悩んだ末、
黙っていることを選ぶ…。

先日、「求婚者の話」をとりあげた
久米正雄ですが、なんと
「大正文豪ミステリ事始」という
副題のついたアンソロジーに
作品が収録されていました。
久米正雄もミステリを書いていたのか!?
書いていたのです。でも
現代でいう「ミステリ」とは異なります。

〔登場人物〕
西野絹子

…実業家の娘。十九歳。
杉村俊夫
…西野家の家庭教師。二十七歳。
 絹子となさぬ仲になる。
佐竹信一
…絹子の婚約者だった。二十八歳。
 優秀な銀行員。
 上海へと転勤が決まる。
西野兼子
…絹子の母。
 娘と俊夫の仲を認めている。
西野謙吉
…絹子の弟。十三歳。
※本作品は戯曲であり、
 これらの登場人物たちの
 語りで構成されている。

本作品の味わいどころ①
三者の悪だくみ…漂う犯罪の予感

簡単に言えば
絹子・俊夫・信一の三角関係です。
でも、純愛の結果などではありません。
絹子は信一という婚約者がありながら、
自ら俊夫になびき、
俊夫は親友・信一に恩義がありながら、
絹子の求めに応じているのです。
しかも俊夫は信一との立場が
逆転したことを
ほくそ笑んでいるのですから、
読み手からすれば「悪役」であることに
間違いありません。
しかも絹子の母親も
それに加担しているのです。
作品冒頭は、そうした三者の
悪だくみから始まるのです。
漂ってくる犯罪の予感こそ、
本作品の味わいどころの
一つめなのです。

本作品の味わいどころ②
スリルある晩餐…信一は気づくか

それに対して
純朴な性格と考えられる信一は、
二人の仲を疑う様子をまったく見せず、
偽りの仮面をかぶった三人と
食卓を囲むのです。
その三人が
信一を気遣うのであればいいのですが、
そこは「ミステリ」です。
絹子・俊夫の二人は
チクリチクリと言葉の針で
信一を突っついているのです。
まるでスリルを
楽しんでいるかのごとく。
自分が馬鹿にされていることに、
どこかで信一は気づくのかどうか?
送別の晩餐での
スリリングなやりとりこそ、
本作品の味わいどころの
二つめとなるのです。

本作品の味わいどころ③
緊迫感ある展開…殺人は起きるか

そうなると予想されるのは、
「ミステリ」としての「事件」が
どのような形で
起こるのかということです。
絹子と俊夫の二人が何らかの事情で
邪魔な信一を亡き者にしてしまうか、
あるいは絹子の不貞に気づいた信一が
何らかの逆襲に転じ、
復讐を果たすのか、
そうなるとそこに
殺人が絡んでくるのかこないのか、
緊迫感ある展開が続くのです。
果たして血なまぐさい事件は
引き起こされるのか…。

というミステリならではの興奮が
高まったところで
物語は幕を下ろします。
クライマックスがどこなのか
戸惑うことこそ、
本作品の最大の
味わいどころといえるのです。
読み終えると、さすがは久米正雄と
唸ること間違いなしです。

というわけで、明らかに
現代「ミステリ」とは異なる味わいの、
久米正雄のミステリです。
大正期、文豪たちは
このようなミステリを書いていたのかと
新しい発見のあるアンソロジーです。
ご賞味あれ。

(2024.8.20)

〔久米正雄の作品はいかがですか〕
著作の多くは現在流通していませんが、
嬉しいことに2019年、岩波文庫から
「久米正雄作品集」が刊行されています。
こちらがお薦めです。

なお、青空文庫では、
以下の九作品が公開されています。
競漕

「私」小説と「心境」小説
受験生の手記
父の死
手品師

良友悪友
私の社交ダンス

〔「開化の殺人」〕
一般文壇と探偵小説 江戸川乱歩
指紋 佐藤春夫 
開化の殺人 芥川龍之介
刑事の家 里見弴
肉店 中村吉蔵 
別筵 久米正雄 
Nの水死 田山花袋
叔母さん 正宗白鳥
「指紋」の頃 佐藤春夫

〔関連:文豪の書いたミステリ作品〕

Konrad JanikによるPixabayからの画像

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