ユーモアからシュール、そして底知れない恐怖感。
「馬」(小島信夫)
(「アメリカン・スクール」)新潮文庫
(「百年文庫059 客」)ポプラ社
妻・トキ子が
家の増築を始めた。
夫の「僕」に何の相談もなく。
ところがそれは
馬小屋なのだという。
それまで追従していた「僕」は
怒り心頭に発し、
大工の棟梁に悪態をつく。
が、気がついたときには、「僕」は
病院のベッドの上だった…。
不思議な作品を読みました。
小島信夫の「馬」です。
一読して見えてきたのは
ユーモアの世界。
再読して見えてきたのは
シュールな世界。
そして底知れない恐怖感。
日本文学の奥深さを感じさせる
一篇です。
〔主要登場人物〕
「僕」
…語り手。結婚前、
妻に愛の告白をしたことが、
一種の言質となっている。
トキ子
…「僕」の妻。
「僕」に相談なく馬小屋を新築し、
その二階を「僕」の部屋とする。
五郎
…トキ子が預かった競走馬。
新築した馬小屋に住む。
「棟梁」…馬小屋を建てた大工の棟梁。
「院長」…「僕」が入院した脳病院の院長。
本作品の味わいどころ①
一読して広がるユーモラスな世界
とにかく「おもしろい」の
一言に尽きます。
妻・トキ子の尻に敷かれ、
ご機嫌を伺い、言いたいことの
一つも言えない「僕」の姿は滑稽です。
自分が働いて得た金で、
妻が何の相談もなく家を増築する。
かと思えば、それは馬小屋であり、
自分はその二階に住むのだという。
とんでもない夫婦を
創り上げたものだと、
笑いがこみ上げてきます。
そして「僕」は抱えている不満を
妻には言うことができず、
それを大工の棟梁にぶつけようとして
自爆し、
やってきた馬の五郎に八つ当たりして
池に振り落とされ、
散々な結果に終わるのです。
一読して見えてくるのは、
限りなくユーモラスな世界であり、
それは本作品の
第一の味わいどころといえるのです。
しかし、何か違和感を感じ、
再読してしまいました。
すると今度はまったく違った風景が
見えてくるのです。
本作品の味わいどころ②
再読して広がるシュールな世界
いろいろな疑問が湧き起こります。
「僕」が馬小屋建築中の事故で
入院した先はどうやら自宅近所の
精神病院です。
しかも強制的に
入院させられていることが
仄めかされているのです。
初読の際は、それもおかしみの一つと
捉えていましたが、精神病院入院は、
たまたま近所だったからなのか、
それとも「僕」の精神が何らかの
異常をきたしていたからなのか、
あるいはトキ子の策略の結果なのか。
いろいろな捉え方ができるのです。
さらに「僕」は入院中、
病室の窓から見える自宅から、
妻とともに男性が出て来たことを
目撃するのですが、
それを問い詰めると、
妻も院長もそれは
夕べ無断で病院を抜け出した
「僕」自身であるというのです。
そうした展開が続くのです。
もはや笑っている場合では
なくなります。
終末では、「僕」はすべてを
失おうとしていることがわかります。
それに対して抗う術も気力も持たず、
押し流されるしかないことを自覚し、
見えない力に屈せざるを得ない
状況なのです。
再読して見えてくるのは、
限りなくシュールな世界であり、
それが本作品の
次の味わいどころとなっているのです。
本作品の味わいどころ③
読み終えて広がる底知れない恐怖感
読み終えると、
底知れない恐怖感に襲われます。
ユーモラスな衣装を纏いながら、
その薄皮一枚剥ぐと、
そこにはカフカや安部公房にも似た、
きわめて不条理な実体が
姿を現すのです。
単なる「オモシロ夫婦」を描いた
作品などではありません。
これは寓話なのでしょう。
無条件で妻にすべてを任せた結果、
自分の得た財産を取り上げられ、
住居も知らぬ間に劣悪な中に置かれ、
自由すら奪われ、
真実はゆがめられ、
存在意義さえ否定されかねない。
背筋が寒くなります。
寓話だとすると、
名前の与えられていない「僕」は、
私たちの誰でもそうなる可能性が
あるということでしょう。
では、馬の五郎、
そしてその住処となる馬小屋
(増築した部分)は
何をたとえているのか?
妻・トキ子の存在は
何を擬えているのか?
大工の棟梁は何の暗喩なのか?
簡単には見えてきません。
見えてくると、本作品の恐ろしさは
際限なく巨大なものに
なってくるような気がします。
時間をかけてそれを考えること自体が、
本作品の最大の
味わいどころとなるのです。
それにしても、
日本文学だけでもまだまだ
読むべき作家と読むべき作品が
いくつも存在しているのです。
話題の新作やベストセラー本を
読んでいる場合ではありません。
埋もれている文学を発掘し、
味わおうではありませんか。
(2024.11.12)
〔「アメリカン・スクール」新潮文庫〕
汽車の中
燕京大学部隊
小銃
星
微笑
アメリカン・スクール
馬
鬼
〔「百年文庫059 客」〕
海坊主 吉田健一
天狗洞食客記 牧野信一
馬 小島信夫
〔小島信夫の本はいかがですか〕
〔百年文庫はいかがですか〕
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