「東海道戦争」(筒井康隆)

コミカルなまま終わるはずがありません

「東海道戦争」(筒井康隆)
 (「あしたは戦争」)ちくま文庫

SF作家の「おれ」は、
家を出てはじめて街の様子が
おかしいことに気がついた。
自衛隊のヘリコプターや
戦闘機が上空を飛び交う。
トラックや装甲車が
道路を行き交う。
尋ねてみると
戦争が起こったのだという。
一体、敵はどこの国…。

「おれ」は事態を
理解できていないのです。
何かが起きているのはわかるけれども、
何が起きているのかわからない。
ようやく自衛官をつかまえて
事情を聞き出すと、
戦争の相手は
他国ではありませんでした。
なんと東京vs大阪。
だから東海道戦争。

前半は、
不穏な空気を予感させながらも、
筋書きはコミカルに流れていきます。
作者筒井は、
戦争という「イベント」に
参加することによって
鬱憤を晴らそうとする民衆を
これでもかと滑稽に描いています。

教師に引率された生徒たちが
モッコに砂を入れて運ぶ。
中年男性の集団が竹槍訓練をはじめる。
大学の射撃部員が
OBからライフルの指導を受ける。
赤十字病院の看護婦たちが
テントを張って準備を始める。
誰も戦争の原因も実態も
わかっていないのに、
くすぶっていたエネルギーを
ここぞとばかりに
発散しようとしているのです。

本作が書かれたのは1965年。
本作を読み解くには、
「マスコミ」(今でいうメディア)の
あり方が鍵となりそうです。

想起されるのは5年前に起きている
60年安保闘争です。
調べてみると、このときマスコミは
不穏当な部分をすべて伏せて、
当たり障りのない映像だけを
流したという記事を見つけました。

もう一つ連想されるのは
1年前の64年東京オリンピックでしょう。
このときマスコミは、
昂奮し感動する場面を
次々に茶の間に流し込んでいます。

本書の「マスコミ」は、
その2つの面を最大限に発揮します。
血なまぐさい部分を伏せ、
戦争の「イベント性」を
ことさらに強調します。
それによって踊らされる愚かな大衆。
戦争をポスト・オリンピックの
一大イベントと大誤解し、
よくわからないまま
次々と戦場へ駆けつけます。

筒井作品がコミカルなまま
終わるはずがありません。
後半はおぞましいまでの
スプラッター場面の連続です。

半世紀前に書かれた傑作短篇。
現代でも十分通用する
恐ろしさがあります。

(2018.11.3)

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