「七瀬ふたたび」(筒井康隆)

異端を徹底的に排除しようとする社会

「七瀬ふたたび」(筒井康隆)新潮文庫

超能力者・七瀬は、
その能力の露見をおそれ、
人を避けるようにして生きていた。
旅に出た列車の中で、彼女は
自分と同じ能力を持つ子ども・ノリオ、
そして予知能力者・恒夫と出会う。
恒夫は列車の転覆事故を
予知していた…。

これです。
私が読みたかった「七瀬」は。
中学生の頃、
NHK少年ドラマシリーズで見て
衝撃を受け、
高校生の頃、
その原作の文庫本を読み、
心を震わせていた「七瀬」です。
30数年ぶりで再読しました。

シリーズ第1作「家族八景」では、
家政婦として人間の心の闇を
次々に見ることになった
七瀬の悲哀が描かれていました。
本作では一転、スリリングな
サスペンスSFとなっています。
テレパスと予知能力者だけでなく、
透視、念動力、そして
タイムトラベラーまで登場する
豪華なキャスティング。
そして七瀬の命を付け狙う
暗殺集団との息詰まる攻防。
何度となく映像化された
理由がわかります。
しかし本作品の本質は、
そのような
表面的なところではありません。

一つは、
超能力者は「人間」であり
「正義の味方」ではないということです。
第1話「邂逅」では、
列車が山崩れに巻き込まれることを
予知しながらも、
乗客を救おうとはしません。
第2話「邪悪の視線」では、
自分に性的暴力を加えようとした
透視能力者を、
ためらいもなく殺害します。
その理由は、
能力を知られれば異端視されることを
極度におそれているからに
ほかなりません。

もう一つは、
超能力者は「人間」ではないと見なされ、
社会から排除されるということです。
暗殺集団は
国家権力を背景にしていました。
七瀬らは国家から抹殺されたのです。

本作品で作者・筒井が暴いているのは、
異端を徹底的に排除しようとする
社会のあり方なのです。
自分たちの持たない能力を持つ者は、
それを持たざる者の利益を
やがては奪う。
自分たちと同質の者のみで
社会を構成した方が安全である。
そのような世の中の風潮を
戯画化したのではないかと
思うのです。

本作品発表は1972~74年、
高度経済成長の終末期です。
大戦が終わり、
人々が国家に命を奉じる代わりに、
会社に人生を捧げるようになった
時代です。
組織の同質性が求められていた
時代ともいえます。

それから40年が過ぎました。
私たちの社会は異端に対しての寛容を
持ち得ているのでしょうか。
多様性を獲得できているのでしょうか。
不安になります。

(2018.11.17)

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