「学校の「当たり前」をやめた。」(工藤勇一)

学校の「当たり前」を疑うことは大切です

「学校の「当たり前」をやめた。」
(工藤勇一)時事通信社

「目的と手段をはき違えない」。
教育の世界において
それがいかに難しいか、
現場にいて常に痛感しています。

例えば「家庭学習」の目的は、
「授業で十分に理解できなかった
内容を定着させる」ことや
「学習習慣を身に付けさせる」ことで
あるはずです。
ところが多くの学校で
「決められた分量をこなす」ことや
「きれいなノートをつくる」ことが
目的化しています。
本来それらは「目的」を達成するための
「手段」の一つに過ぎません。
特に私の県では
「学力日本一を支える
○○の家庭学習ノート」として
積極的に宣伝することが多いのですが、
愚かしいことだと感じています。

また「部活動」であれば、
本来の目的は
「子どもたちの興味・関心に応え、
個性や能力を伸ばすこと」で
あるはずですが、
勝つことが目的にすり替わって
「勝利至上主義」に陥っている
学校の話はよく聞きます。
また私の地域では、
部活動そのものを維持することが
目的となり、
時代遅れの「全員入部制」が
未だに続いています。
もはや本来の「目的」が見失われ、
別の何かが「目的化」しているのです。

その「手段の目的化」という
教育の最大の問題点に、
鋭く切り込んだのが本書です。
ついに待っていた本が出版された。
一読し、そんな思いを持ちました。

学校改革の本は数多くあれど、
特殊な環境下での実践記録や、
「生徒とのふれあい」等の
心の面を強調しただけで
理念のないものが多く、
同じ教員として
参考にならない本が多いと
感じていました。
本書はそれらとは違います。
「目的と手段をはき違えない」という
シンプルなマネジメントに
貫かれているのです。

先に述べたような事例は、
学校においては
枚挙にいとまがないほどです。
筆者はその点を明確に指摘し、
こう提言しています。
「目的と手段が一致しないものや、
 手段が目的化しているものは
 廃止・見直しをする。
 その上で、
 本来の「目的」を再認識して、
 最適な「手段」を再構築する。」

学校の置かれている環境が異なるため、
本書に書かれている事例と
同じ手法をそのまま用いることは
できないでしょう。
しかし、
その理念はすべての学校、
いや、すべての組織において
活用できるはずです。

教育に関わる人間が読めば、
すぐ明日からでも
自分の学校や
授業の在り方を改善したくなり、
いても立ってもいられない
心持ちになるはずです。
学校の「当たり前」を疑う。
とても大切なことです。

※カバーや帯には
 「宿題は必要ない」
 「クラス担任は廃止」
 「中間・期末テストも廃止」という
 刺激的な文言が並んでいますが、
 それはあくまでも
 そうした実践の「結果」
 (と本のPR)であり、
 本質はそこではありません。
 きわめて正統的なマネジメント理論を
 読み取るべきです。

※参考までに章立てを。
 第1章 目的と手段の観点から
     スクラップする
 第2章 「手段の目的化」
     学校教育の問題
 第3章 新しい学校教育の創造
 第4章 「当たり前」を
     徹底的に見直す学校づくり
 第5章 私自身が思い描く、
     学校教育の新しいカタチ

(2018.12.26)

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