「牛人」(中島敦)

山月記が「虎」ならこちらは「牛」

「牛人」(中島敦)(「中島敦全集2」)ちくま文庫

斉で暮らす叔孫豹は
牛そっくりな男に
命を救われる夢を見る。
数年後、
故国魯に戻った叔孫のもとへ、
かつて契りを結んだ女が
息子を連れて現れる。
その青年・豎牛は
叔孫との子であり、
容貌は夢の中で見た
牛男そっくりであった…。

中島敦といえば山月記、
山月記といえば
虎に変身する男でしたが、
本作品は「牛人」です。

この豎牛、叔孫が若かりし頃、
一夜を共にした女があり
(叔孫の方はそんなことが
あったことすらすっかり忘れていた)、
そのときにできた子なのです。
それが夢の中で助けられた
牛男にそっくりなものですから、
叔孫はつい気を許し、
彼を重用するのです。
叔孫が病床に伏したとき、
すでに彼の2人の息子でさえ
豎牛を通さなければ
父親に会うことができない状態にまで
なっていたのです。
豎牛は奸計をめぐらし、
叔孫の嗣子の一人を殺害、
もう一人を追放、
衰弱した叔孫は絶望の末、
命を落とします。

なんとも後味の悪い結末です。
まあ、
叔孫が豎牛の母を
一夜の関係で捨てたのですから
自業自得といえなくはないのですが、
それにしても酷すぎます。

絶命の直前、
叔孫は何を思ったか?
「叔孫は骨の髄まで凍る思いがした。
 己を殺そうとする
 一人の男に対する恐怖ではない。
 むしろ、
 世界のきびしい
 悪意といったようなものへの、
 遜った懼れに近い。
 もはや先刻までの怒は
 運命的な畏怖感に

 圧倒されてしまった。」
中島はこの牛人・豎牛を、
絶対的な悪の化身として
描いたのかもしれません。

さて、牛人から
思い起こせるのはミノタウロス。
名工ダイダロスの築いた
迷宮の深奥に棲まい、
少年少女を生け贄として
喰らうという伝説の化け物。
叔孫の嫡男二人も、
ミノタウロスへの生け贄同様、
牛人に貪りつくされたかのようです。

ミノタウロスも
ミーノース王の不純な行為の果てに
誕生した化け物ならば、
豎牛もまた
叔孫の不誠実な行いの結果として
生みだされた悪魔と
考えられなくもありません。

中国の歴史的素材に
ギリシア神話のエッセンスを加味し、
英国シェイクスピアの
「リア王」を彷彿とさせる
物語を編み出す。
しかもそれは南洋パラオという
楽園のような地に住んでの創作。
ワールドワイドな中島敦の逸品です。

(2019.2.21)

【青空文庫】
「牛人」(中島敦)

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